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かねて告知させていただいておりました東京カルチャーカルチャーの「磯遊び復興イベント」が、予定通り1月4日に開催できました。100名もの方々に集まっていただき、ただただ感謝に堪えません。これからもよろしく。
 
私も、共演者のサトウさん、ニイノさんも、60年前の磯遊びの姿になったり、裸にラクダの股引とシャツ姿で熱演したり、外を通る人びとが「何やってんの? 怪しい集会?」と、恐るおそる覗いておられました。また、会の終了後は、そのまま二次会になり、多くの方々と直接お話しする機会が持てました。いままで孤独な道だったので、同好の方々とお話しできたことがありがたかったです。当日の写真をすこしアップします。FIFTYさんのご厚意で提供いただいたスナップ写真をお借りしました。
 
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当日の出し物は、プランクトンの世界紹介と、誰にもできるプランクトン採集、「食べるから排泄まで」のおもしろい観察(ムカデメリベの餌取りはすごかったですよ)、そして「採るから撮るへ」と題し、自然の叡智を知る方法としての磯写真をかんたんに撮れるグッズも紹介いたしました。私たちが二週間かけて編集した苦心の動画や静止画とともに、観ていただきました。
 
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とくに最後の、磯写真のすすめでは、この趣味がただの道楽でなく、博物学・自然学への貢献になり得ることを強調しました。今後、みなさまの磯写真や水槽写真をお寄せいただき、そこに写った決定的瞬間を眺めながら生き物の暮らしを発見していきたいと思います。みなさまの写真を大募集します。応募方法は決まり次第告知し、発表会も開いて賞を贈呈することにしています。
 
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 とはいえ、第一回目は、こちらも舞い上がってしまい、十分に意をつくせませんでした。でも、会の終了後にみなさんが書いてくださったアンケートを拝見し、深海魚の話とか磯の探し方とか、さまざまなリクエストをいただいて、励まされました。これから、勇んで次の取材を進めます。
たとえば、海の観察から地球30億年の生き物の歴史を知る方法、磯でどうしたらおもしろい生物に遭遇できるかを知る技術、文化誌の面では世界の水族館の知られざる歴史(ほんとに水族館の歴史は不明なことが多いのです!)、古今の魚類学者にまつわる秘伝、などなど。これをぜんぶお伝えするには、イベントを数年継続する必要がありますね。
還暦をすぎての最大の楽しみと思って、これからどんどんイベントを開催していきます。できれば、ときどきは参加費が無料! みんなで実際に磯のフィールドに出て、あれこれ観察を試みる会なども、手弁当持参で開きたく思います。
 
さて、
今回、感謝をこめて、ひとつだけお土産話を書いておきます。私はいま、古い水族館を描いた美術の発掘に全精力を傾注していますが、ごく最近、とんでもない発見がありました。榎本千花俊(えのもと ちかとし)という近代美人画の大家をご存じでしょうか。明治版画の巨匠・鏑木清方の弟子で、日本画としては伊藤深水や橋口五葉に連なり、でも大正アールデコのモダン好みとしても石川寅治や小早川清に並ぶ魅力的な画人です。
 
この人に水族館を描いた絵があって、昭和14年(あるいは13年か)の文展に出品されたという記録がありました。探したところ、雑誌「アサヒグラフ」の増刊「文展編」(昭和14年)に現物が出ているのを発見、出展時タイトルも「魚窓」であることが判りました。ここに示したのがその時の出展写真です。
 
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ところがある日、アメリカのフロリダに出かけていた魚類分類学の泰斗で天皇陛下の皇太子時代から一緒にハゼを研究したという林公義さんから、電話がありました。なんでも、ふと立ち寄ってみた現地の美術館で日本の大正期モダンアート展をやっており、そこに飾られたとてつもなく大きな絵を見物したとき、一瞬で「これは明治32年に開館した浅草公園水族館の内部を描いたものにちがいない」と見破り、急いで報告してくれたのです。後で確認したところ、まちがいなく「魚窓」の原画でした。
 
林さんはこの絵から、「水槽のろ過システムが分かる、キュウセンという魚の正確な描写から、これが貴重な水族館資料にもなる」と判断し、私に教えてくれたのです。
浅草公園水族館といえば、閉館したのがいつなのか、いまだによくわからない幻の水族館なのですが、ここの二階演芸場で昭和の初めに榎本健一が「カジノフォーリー」という新型のレヴューを公演したところとして記憶されています。毎週決まった日に踊り子さんがズロースを落とすというデマがひろがり、大騒動になったことと、川端康成がこのレヴューに出演する踊り子たちの想いを描いた小説『浅草紅団』で日本中に知られたものでした。踊り子の一人だった女優の望月優子たちが「ほとんどお客のいない水槽の前で、手すりを支えに、ガラス面を鏡にして、練習しました」と語っていた、その魚窓と手すりが、これだったのです。
 
浅草公園水族館については、話したいことがいっぱいあります。閉鎖時期もいろいろな文献を探しまくって、ほぼ突きとめました。当時の入場券や引き札もみつけ、浮世絵にも登場していたことがわかりました。どこかの機会に、お話しできればと思っています。
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