2009年06月

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第3日目 ベルリン→ポツダム→デッサウ→イエナ
朝から土砂降り。9時にヨーロッパカー・アレクサンダープラッツ店でメルセデス180TK・オートマ・フルサイズ・ワゴン・エアコン付を借りる。セダンの方が安いのだが、ワゴンでないと4人分の荷物が積み込めないのだ。レンタカーを予約するに当たって、事前に何社かあたってみた。例えばドイツ最大のレンタカー会社のSIXT。ここは支店の数も、車種も多いが、我々の行程で予約できるオートマ車は二種しかなかった。どちらも大きすぎるか、小さすぎて見送ったが、料金はかなり安い。ドイツ旅行をする人には絶対おすすめだ。イギリスのレンタカー検索サイトで安いところがあったが、ネットでの評判がかなり悪いので、敬遠。結局、いつものヨーロッパカーを借りることになったが、ここが必ずしも安心というわけではない。昨年末、リビエラ海岸をドライブしたときは、ドアロックができず、ポルトフィーノからジェノバまで戻って車を交換するハメになった。

9:30ホテル出発 
予めガーミンに登録しておいたサンスーシ宮殿目指して出発。ベルリンから南西へ約40km、所用時間30分。

「サンスーシ宮殿」
世界遺産 1990年登録 〝ポツダムとベルリンの宮殿群と公園群〝のポツダム部分の中心となる建物。プロイセン王国フリードリッヒ大王(フリードリッヒ2世)が自ら基本デザインを描いた瀟洒な宮殿で、夏の離宮として建てられた。SANS SOUCIとは憂いが無いという意味で、無憂宮とも呼ばれる。両翼97m、平屋建てで部屋数10室、執務室兼寝室には執務用のテーブルと肘掛のついた長椅子のみという質素さだが、フリードリッヒはここが気に入り居城とした。啓蒙専制君主として名高いフリードリッヒ大王はなかなか面白い人物である。父フリードリッヒ・ウィルヘルム1世は兵隊王とも呼ばれた文化に無関心な無骨者で、いっぽうイギリス国王ジョージ1世の娘である母は、教養の高い宮廷人であった。二人の教育方針の対立に翻弄されて育つが、双方の才能を受け継いだようで、芸術家であり、軍事的天才でもあった。

その業績は拷問の廃止、貧民への種籾貸与、宗教の自由などが有名だが、ドイツの国民食であるジャガイモを普及させたのもフリードリッヒであった。当時観賞用としてオランダから入ってきたジャガイモを食べる習慣が無く、栽培する農民もいなかった。王は寒冷地栽培に適したこの穀物を普及させるべく一計を案じ、王の畑で栽培するジャガイモに兵隊の見張りをつけ、あたかも貴重品であるかの印象をあたえた。農民らは興味を持ち、兵隊らの目を盗んで持ち出したジャガイモを栽培し始めた。これで一気にドイツの食糧事情が改善されたという。

おもしろいのは、プロイセン王即位前には「反マキャベリ論」をフランス語で著し、平和維持のための外交の重要性や、国民の第一の従僕であるべき君主の理想をのべていたにもかかわらず、即位後は、神聖ローマ皇帝カール6世没後の跡継ぎ問題のすきをついてオーストリアのシュレジエンに侵攻し(オーストリア継承戦争)、結果ハプスブルグ家を継承したマリア・テレジアからシュレジェン領有権と多額の賠償金を獲得するという、マキャベリストとしての側面を見せているところだ。マリア・テレジアとしてもこのままおめおめと引き下がるわけも無く、フリードリッヒが戦後サンスーシ宮殿で、ヴォルテールなどの文化人を招いては夜毎音楽会を開いて社交を楽しんでいる間に、ロシア女帝エリザヴェータや、ルイ15世の愛妾マダム・ポンパドールと結び(3枚のペチコート作戦)、虎視眈々とシュレジエン奪還のチャンスを狙っていた。

それを察知したフリードリッヒは先制攻撃にでて、1758年から7年戦争が始まる。しかしこの戦争はイギリスを除くヨーロッパ列強を敵に回すという圧倒的不利な戦いで、一時は国家滅亡の危機に瀕する。ところが、天の助けかロシアのエリザヴェータが急死して、一気に流れはフリードリッヒに向いてくる。ロシアの後継者のピョートル3世がフリードリッヒの崇拝者だったため、講和が成立。続くスウェーデンとの講和成立を期に、列強も軍を引いた。孤立した宿敵オーストリア軍に勝利を収め、プロイセンのシュレジエン領有が確定。大国プロイセン王国の地位は不動のものとなった。

実はこれには裏話があって、フリードリッヒにはかつてマリア・テレジアとの縁談を勧める者があり、お忍びで見に行ったところ、すっかり気に入って結婚を望んだが、すでにマリアにはフランツ・シュテファンという恋人がいて後に二人は結婚してしまった。フリードリッヒとしては袖にされた恨みなのだろうか・・・・、なんだか歴史ミステリー風になってきた。

話をもとに戻そう。宮殿は高台にあり、庭園へと降りていく石段の両側のテラスはブドウ棚になっている。下から見上げると緑の壁の上に宮殿が浮いているように見える。

庭園内には、1745~47に建てられたサンスーシ宮殿のほか、サンスーシ新宮殿、絵画館、シャルロッテンホーフ宮殿などが増築されたが、是非オススメしたいのは、CHINESISCHES HAUS=チャイニーズ・ハウスだ。サンスーシ宮殿の大階段を下りてマンホールの蓋を模した表示盤に従って進むと、深い森の中に忽然と、巨大なウエッジウッドのキャンディボックスもどきの建物が現れる。エメラルドグリーンの地に黄金の彫刻がこれでもか、と飾られている。てっぺんにはこれまた黄金の中国人が傘をさして座っている。いゃー、悪趣味ですばらしい!こういう、意味無く装飾をつけた見物用建物をフォリーFollyというのだが、いずれ、ヨーロッパFolly巡りもするつもり。有料で中も見学できる。

本日の世界遺産
ポツダムとベルリンの公園群と宮殿群    サンスーシ宮殿
\(◎o◎)/!   ここはもう、行くしかありまへん!

写真カバー サンスーシ宮殿が浮かんでいる。
写真1. SANS SOUCIの文字が見える。
写真2 プロムナード
写真3. 大階段
写真4. マンホールのような表示盤
写真5. CHINESISCHES HAUS
写真6. 彫刻

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今回からドイツの旅をざっくりとレポートするが、毎回、アラマタが独自に世界遺産を評価していきたい。それも、文化的見地とか、地球環境とか、こ難しいことは全く関係なく、単純に観光客目線での評価であるので、ドイツへ出かける方は参考に・・・なるかなァ??

評価は3段階 
\(◎o◎)/oh!    素晴らしい!! 是非行ってください。
(・_・) フーン     まあ、いいんじゃないすか。
(^_^;) えっ?     これが・・ですか・・・(汗) 

第1日目 成田からベルリンへ
今回はたまったマイル消化の旅なので、同行者のうち一名がANAで、残りがJAL。合流はフランクフルト空港ということになった。JALの機内で映画のメニューを見て驚いた。「ベイビィベイビィベイビィ」「お買いもの中毒な私」など、現在劇場公開中の映画をやっているではないか。他にも観たい作品めじろ押しで帰り便が楽しみだ。

フランクフルト空港からベルリンへの乗り継ぎもスムーズに進み、タクシーでホテルへ。タクシーのバックミラーに料金のデジタル表示が。今夜のホテルは「RADISSON BLU SAS HOTEL」だ。このホテルはロビーの真ん中にドーンと「AQUADOM」と呼ばれる円筒形巨大水槽が立っている。高さ25m、海水100万リットルのアクアドムは水族館関係者の間では以前から噂になっており、一度視察に来たいとかねがね思っていた。口の字型のホテルの吹き抜け部分に設置されていて、各部屋から水槽が見える。水槽の中心にエレベーターがあって、バウムクーヘンの穴の部分を昇って降りてくる。併設のSEALIFE水族館とともに有料で見学できる。毎夜深夜2時から水槽の掃除、朝8時から給餌が行われている。


第2日目 ベルリン市内
ホテルのコンシェルジュで公共交通機関乗り放題のwelcomecard 2日券(16E)を買って出発。ホテルの立地が非常に良いため、目の前の橋を渡れば世界遺産の博物館島=ムゼウムズインゼルだ。シュプレー(spree)川に浮かぶ中州にベルリン大聖堂(Berliner Dom)と、新旧博物館、ペルガモン博物館、ボーデ博物館、旧ナショナルギャラリーがひしめきあっている。ナショナルギャラリーが改修中なので、まずはペルガモン博物館から。

ペルガモン博物館
バビロニアの「イシュタール門」、ミレトスの「市場門」、ペルガモンの「ゼウスの大祭壇」が有名だが、特にペルガモンの「ゼウスの大祭壇」は圧巻だ。ペルガモン王国は小アジア北西部の都市ペルガモン(現在のトルコ・ベルガマ)を首都とした王国で、東のシリア、西のマケドニアに挟まれ、独立を維持するためにローマと同盟を結び、強国への道を歩み始めた。最も繁栄したのはエウメネス2世(前197~159)の頃で、「ゼウスの大祭壇」もその当時建てられた。都市の中心部は大理石の壮大な建築物が立ち並び、なかでも約20万巻の書物を有する大図書館は、アレキサンドリア図書館に継ぐ規模だったというからすごい。この繁栄も長くは続かず紀元前128年にはローマの属州となった。その後1864年、ドイツの道路建築士カール・フーマンは、ベルリン博物館館長であるアレクサンダー・コンツェのサポートを受け、ペルガモンの遺跡発掘を開始。大成功を収め、1886年、トルコ政府とベルリン博物館の間にかわされた協定に基づいて「ゼウスの大祭壇」はドイツに運ばれた。1930年完成のペルガモン博物館に展示されていたが、第二次世界大戦中は動物園近くに疎開させられていた。戦後、ソ連によって今度はレニングラードに運び去られたが、後に東ドイツに返還され1959年から展示再開となっている。

一昨年、このトルコのベルガマを訪問したとき、ガイドがしきりにドイツが返してくれない、と嘆いていたのを思い出す。トルコの文化観光省は「ゼウスの大祭壇」の複製をつくってかの地に展示し、「本物はベルリンにある」と表示するという。イギリスやら、フランスやらこの手の問題は、ややこしい。

「イシュタール門」
アッシリア滅亡後、メソポタミアの覇者となった新バビロニアの首都・バビロンの北側の門でネブカドネザル2世の宮殿近くに建てられていた。彩釉煉瓦(glazed brick)で飾られ、濃青色の地にライオン、牛などの動物や、植物文様が描かれた壮大で華麗な門はため息がでるほど美しい。

歴史建造物の立ち並ぶカール・リープクネヒト通りからバスでブランデンブルグ門へ向かう。途中ドイツ連邦議会議事堂を訪れるがあまりの行列の長さに断念。ブランデンブルグ門近くからカイザー・ウィルヘルム教会へバス移動。この教会は1943年の空襲で破壊されたほぼそのままの姿で残されているが、中はショップ。隣にはモダニズム建築の美しい新教会が。

続いて念願のベルリン水族館へ。ゆっくり中をみたあと、ポツダム広場、監視塔跡を見て、ポツダム広場近くのソニーセンターで夕食。ライティングが素晴らしいとのことだったが、ヨーロッパの夏は夜9時をすぎてもまだ明るい。


本日の世界遺産
MUSEUMSINSEL ムゼウムズインゼル(博物館島) \(◎o◎)/oh! 素晴らしい!

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カバー  イシュタール門
1.RADISSON BLU HOTELの巨大水槽
2.ベルリン大聖堂 外観 上部が下部に比べて黒っぽい。暖房用に炊き続けた石炭の煤で黒ずんでいるという説と、ドレスデンの聖母教会のように、第二次大戦で破壊された瓦礫を集めて復元したため、黒い部分は広い集めた瓦礫だという説をきいたが、ここはどうなのだろう。黒いビルは、アラマタが小学校一年生の時に板橋の豊島病院を見て以来。今はない豊島病院の旧館が真っ黒だったのは、空襲で狙われないためにわざと黒く塗ったものだった。
3.ゼウスの大祭壇
4.ブランデンブルグ門
5.カイザーウィルヘルム教会
6.カイザーウィルヘルム新教会
7.監視塔 東西ドイツ時代の監視塔が住宅街にひっそりと残っていた。
8.シュパーゲル(ホワイトアスパラ) ほんとうに美味い!収穫は毎年復活祭ごろ~6
月24日の聖ヨハネ祭まで。以降は翌年に備えて畑を休ませるらしい。

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第1弾イタリア編に続き、ヨーロッパレンタカー旅行・第2弾としてドイツに出かけてきたのでご報告したい。今回は8泊10日でドイツへ行こうという以外、具体的な旅のテーマは直前まで決まっていなかった。イエナの「ヘッケルハウス」とワーグナーの町・バイロイトさえ行ければ、あとは成り行きにまかせて、のつもりだった。ところが調べていくうちに、なんとドイツには32箇所もの世界遺産があり、その何箇所かは比較的近接している。それにアウトバーンが発達しているから移動がたやすい。これはかなりの数をこなせるのではないか?!!

で、挑戦してみました!!!
おおまかな旅程はこれだ。
1日目  成田→フランクフルト 乗り継ぎ → ベルリン 21:40着
2日目  ベルリン市内
      ・ベルリン市内観光
      世 ベルリン ムゼウムズインゼル MUSEUMSINSEL
3日目  ベルリン→デッサウ→イエナ
      世 ポツダム サンスーシ宮殿 
      世 デッサウ ベルリッツ庭園
      世 デッサウ バウハウス
4日目  イエナ→ワイマール→アイゼンナッハ→ドレスデン
      ・ヘッケルハウス
      世 ワイマール様式建築
      世 ヴァルトブルグ城
5日目  ドレスデン→クトナーホラ(チェコ)→プラハ(チェコ)→ドレスデン
      世 聖バルボラ教会
      世 プラハ歴史地区
6日目  ドレスデン→マイセン→エルベ渓谷
      ・マイセン
      世 ドレスデンとエルベ渓谷  
      ・バスタイ
7日目  ドレスデン→バイロイト→レーゲンスブルグ 
      ・バイロイト
      世 レーゲンスブルグ
   ・ヴァルハラ神殿
8日目  レーゲンスブルグ→バンベルグ→ヴュルツブルグ→ハイデルブルグ
      世 バンベルグ
      世 ヴュルツブルグ レジデンツ
      世 シュパイヤー大聖堂
9日目  ハイデルベルグ→ロルシュ→メッセル→バートホンブルグ→フランクフルト      21:05発→成田着 
      世 ロルシュの修道院
      世 メッセル・ピットの化石地域 (自然遺産)
      世 ザールブルグのリーメス(古代ローマの国境跡)

なんと、16箇所まわる計画となった。
詳細は次回から、乞うご期待!!

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カバー ドレスデン夕景
1.ヴァルハラ神殿  (パルテノン神殿ではない。)
2.バスタイ (中国ではない。)
3.レジデンツ  (ベルサイユ宮殿ではない。)

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睡眠時無呼吸症の治療を始めたことは以前お伝えした。CPAPという医療器具をつけて寝るだけなのだが、月1回、ICカードに記録した睡眠時のデータを持参して解析・診断してもらわないといけない。さて、アラマタの結果やいかに。

前回、1時間に51回呼吸が止まるという重症だったアラマタだが、CPAP装着時はたったの2回まで落ちている。治療の効果てきめんだ。どおりで頭がスッキリしている。治療を始めても、約2割はマスクに違和感を感じて脱落。脱落しないまでも装着率5割以下という人がかなりいるそうだ。シュノーケリング歴50年のキャリアがこんなところで活かされるとは!!!

主治医の虎ノ門スリープクリニック院長・前野健一先生によれば、メタボが引き起こす代謝異常の原因となるホルモンが、睡眠時無呼吸によっても分泌される。だから、無呼吸症が改善されれば、その二重構造が解消され “ただのメタボ” になれます、とのお墨付きをいただいた。なんだか・・・、あまりうれしくない・・・・。最初快調な人は半年ぐらいたつと、気が緩んで装着率が落ちるので注意するように、とも。

睡眠時無呼吸症候群であるにもかかわらず、アラマタのように特に自覚症状がない人や、仕事に差し支えるのでカミングアウトできない人など様々だ。クライアントとの商談中に不覚にも眠りに落ちてしまい、気が付いたら『お疲れのようなので、いずれまた』というメモが残されていたという実話もある。前野先生は、人生や仕事に大きな支障をきたす前に、中高年は勿論だが、若年層にも治療を受けてほしい、とのこと。

それから大切なのは、ベッドパートナー(妻とは限らず)への配慮としての治療だ。ガーガーうるさいいびきの症状が改善されると、本人のみならず、ベッドパートナーの睡眠の質が改善される。奥さんに離婚される前に、是非、診療を受けられることだ。

写真は、ICチップつきのカード。この中にデータが記録される。1回の診療の費用は5000円程度だった。

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