2008年11月

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4日目 フィレンツェ  Firenze 

おもしろかったピサの斜塔見物を終えると、もう夕方の5時過ぎ。なんとか7時までにはフィレンツェのホテルへたどり着きたい。ふたたびカーナビのお世話になって、時間通りにフィレンツェに到着した。一方通行の多い街だが、ガーミンはことごとく一通を把握していた。すごいなァ、ほんと!宿は、中央駅付近にとり、街の見物は明日の朝とする。夕食は、ホテルから歩いていけるトラットリア「TRATTORIA BALDINI」。名物、フィレンツェ・ステーキにかぶりつき、大満足。ただし、とても固いので歯に注意。アラマタはガブッと噛んだとたん歯がかけてしまい、つらい旅になった。

花の都フィレンツェは、言わずと知れた日本人の大好きな観光地。14世紀ごろから、金融業で財力を得たメディチ家が政治権力を握り、ローマ・カトリックの文化とは異なる自由で新しい文化を庇護した。その中核が、科学やオカルティズムをも含めた学問・芸術であり、「祖国の父」コジモ・デ・メディチは芸術家を都市全体の文化デザイナーとして厚遇した。とりわけ、ギリシア・ローマ以来の美しい女性裸体彫刻や、解剖学をベースにしたアクロバティックなポーズをとる男性裸体彫刻が街にあふれ出し、中世以来の退屈なキリスト教芸術は一変した。その結果、各地からぞくぞくと若い芸術家が集まり、ダ・ヴィンチやミケランジェロらが隣りあって傑作を生み出す街となった。したがって、どこを見てもおもしろいのだが、普通のパック旅行は訪れる場所が限定されるうらみがある。ところが、どっこい、レンタカーの自由な旅行を介すれば、知られざる名所を独り占めできてしまう。

ヴェッキオ宮殿Palazzo vecchio
ヴェッキオ宮殿は、日本の観光客が足を運ぶウッフィツィ美術館の隣にあるのだが、ほとんど素通りされてしまう。ところが、この宮殿の価値はウフィッツィのそれにまったく劣っていない。ここには、ドナテッロからミケランジェロまで、フィレンツェを代表する芸術家たちが心血を注いで完成させた作品が宝石箱のように集められているのだ。

失われたダ・ヴィンチの名画が、ヴェッキオ宮殿で発見された!!
2007年5月、イタリア文化庁からヴェッキオ宮殿に関する途方もない発表があった。ヴァザーリが改修の際に塗り潰してしまったとされてきたレオナルド・ダ・ヴィンチの巨大壁画「アンギアリの戦い」が、まだ500人大広間に隠されている、というのだ。すでに30年以上も調査を続けてきた古物修復の権威セラチーニ博士が、ダ・ヴィンチ壁画の上に重ねて描かれたヴァザーリ作になる別の壁画から、「探せ、さらば見つからん」という暗号を発見、執念の調査と最新技術により、ヴァザーリ作の壁画の裏側に「もうひとつ別の絵」が隠されている事実を証明した。2008年末から、失われたダ・ヴィンチの壁画を救い出す大工事が始まるという大ニュースが流れ、関心も一気に高まっている。工事が始まる前に、ぜひ、この500人大広間を見ておこう!

ピッティ宮殿  Palazzo Pitti
外見はヴェッキオ宮殿と同じ時期の建築をあらわす荒っぽい巨大な石積みの、砦を思わせる無骨さだが、内部はすごい。ルネサンスから近代までの様式をすべて備えた豪華な部屋と、イタリア・ルネサンス最高の庭園がひろがる。ここを見ずに、フィレンツェ文化は語れない。だのに、ここまで来る日本人観光客は少ない。

銀器博物館 
ピッティ宮殿の地上階に併設された博物館だが、歴代大公が集めた銀器などを見るのではなく、その驚くべきだまし絵天井画を見物してほしい。内部はさまざまな石材で造られているように見えるのだが、実はこれがすべて、絵に描いた建築なのだ! 頭がクラクラするイリュージョンの最高傑作と、わたしは言いたい。きっと腰を抜かすと思う。
ボーボリ庭園 
45000㎡の広さを誇るこの庭園は、まさにテーマパークの元祖だ。たくさんある噴水の造形と、水を噴出すカラクリをさぐるのも楽しいが、ここではなんといっても、知られざるイタリア庭園の「秘密の場所」グロッタを見物してほしい。グロッタとは、日本でいえば、竜宮城。カトリックの教えを無視し、肉体と生命を謳歌した古代の性愛儀式を復活させる、不思議な人工洞窟のことだ。あの時代に、こんなラブホテルみたいな仕掛けが、とびっくりするような妖気とセクシーさをたたえる夏の遊び場だった。グロッタはフランス、イギリス、ドイツ、ロシアにまで流行したが、そのルーツがここにある!!

ラ・スペコラ  La Specola
フィレンツェの真のおもしろさを発掘するとすれば、おすすめは「ラ・スペコラ」だ。この建物はピッティ宮殿から歩いて数分のところにある。ピッティ宮殿を正面に見て、右側の道をずっと辿っていけば、5分以内に着く。ただし、平日午前中だけのオープンなので、時間をまちがえないように。かつてはメディチ家の科学施設であり、天文台(スペコラ)が建っていたが、じつにすごい物が展示してある。フィレンツェが世界に誇る解剖蝋人形コレクションだ。ライヴァルだったボローニャが実用性にとんだ医学用の模型だとすると、こちらは明らかに芸術用をも意識した美術模型である。スッシーニ作となる女性の模型は、まるでボッティチェルリのヴィーナスのように美しく、変態文学の創始者マルキ・ド・サドもここに入り浸ったというほどだ。また、ガエターノ・ズンボという怪奇蝋人形劇場の創始者が制作した「死の劇場」4部作は絶対に見逃してはいけない。ペストや梅毒など18世紀に猛威を振るった死病の惨状が、四つの箱の中に蝋細工で再現されている。

写真表紙 スペコラのヴィーナス 腹の蓋を外すと内臓模型が入っている(現在は撮影禁止 この写真は以前撮影したもの)
1.フィレンツェ風ステーキ
2.ヴァザーリの壁画 この下にアンギアリの戦いが隠されている
3.ボーボリ庭園のグロッタ
4.ラ・スペコラのズンボの「死の劇場」 こちらも現在撮影禁止

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11月は講演シーズンで更新頻度がおちます。

第三日目  ボローニャ→フィレンツェ

イタリア旅行に慣れた人でも、学園都市ボローニャに詳しい、という人は案外少ない。わたしも、過去三度この地を訪れたが、用事が済み次第フィレンツェかミラノに移動していたので、宿泊したこともなかった。でも、今回は自由が利くレンタカー旅行なので、ここに一泊することに決めた。こういう小回りが大幅に利くのが、レンタカーのすばらしいところだ。

世界一のアーケードを楽しめ
ボローニャ市の名物といえば、街中にアーケード(ポルティコ)があることだろう。周辺都市も加えると、アーケードの長さは総計60km! ボローニャ市がそのうちの40kmを占めているそうだ。そもそもボローニャ大学に集まる学生の下宿を、道路にはみ出す形で建て増ししたことに始まるらしいが、しだいに職人の仕事場や交易の市や露店の集まる場所となり、賑わいを見せるようになった。昔は木造だったが、16世紀ごろから石材やレンガでの建築が義務付けられるようになった。アーケードのデザインもそれぞれ異なるので、これを見て回るだけでも路上観察の旅ができる。天井のデザインもすごいぞ!

傾いた塔もたくさんあった!!
ボローニャには、12〜13世紀の頃には100本もの塔があったそうだ。その名残がボローニャのシンボルでもある二本の斜塔で、ガリゼンダの塔48mと、アジネッリの塔97mだ。共に12世紀初期のもので、所有者の名前がついている。ガリゼンダの方が傾きがひどく、もともとは60mあったが崩壊の恐れがあり14世紀に削られた。アジネッリの塔には登ることができるが、階段が急で、しかも勾配が強く、とてつもなくくたびれる。ガリセンダの塔は、傾きすぎて登れなくなったらしい。

科学系博物館
つづいてのおすすめは、いよいよ文化都市ボローニャの真髄へと迫ろう。この小さな町にひしめく博物館の見学をしたいのだが、さて、どれを選ぼうか?定番の美術館などは、他のガイドブックに当たっていただくとして、わたしは断然、ルネサンス期イタリアの科学系博物館をおすすめしたい。最大のオススメは、最近、たくさんの資料がまとめられ、まことに便利な場所となった「ポッジ博物館」Musei di Palazzo Poggi。ここには、ルネッサンス博物学の巨人アルドロヴァンディのコレクションが展示されていて、怪物標本も見られる。昔はボローニャ大学の図書館の裏にあって、見るのに手続きが必要でめんどうだった。それと、病変部の多い、じつにこわい模型を集めた「解剖蝋人形博物館」Museo delle Cere Anatomiche Luigi Cattaneo。なんと、18世紀の生々しい蝋人形が展示されている。これぞ、マダム・タッソーの蝋人形館の元祖となった妖異博物館なのだ。ここも展示が見やすくなりオススメ。これら博物館は無料だ。

※マッジョーレ広場の噴水や、サンペトロニオ大聖堂の不思議な仕掛け、ポッジ宮博物館、解剖蝋人形博物館などの詳細はガイド本に記す。

さて、ボローニャの文化施設を十分に楽しんだ後は、学問・芸術においてこの都市のライヴァルといわれたフィレンツェへむかいたいのだが、このままAUTOSTRADA A1をまっすぐに走ったのでは、レンタカーの自由度を捨てるようなものだ。片道1時間半ほど回り道し、海のそばの「白く輝く都市」ピサへ立ち寄ってみたい。お目当ては、もちろん、あのピサの斜塔見物だ。

ピサの斜塔

ピサは中世にあってはヨーロッパを代表する交易都市であり、海に出られる河川港に接して、市街地と大聖堂があった。この水路を利用し、農産物、木材、石材、さらにアメリカ新大陸からの積荷が集積する豊かな土地だった。現在のピサは川とは無縁の陸地だが、ピサの斜塔のある大聖堂がかつて港のそばだったのだ。

12世紀、ピサ市はその財力やイスラム文化から学んだ白い石材建築の技法を生かし、「新ローマ」とも呼べる都市と巨大な聖堂を建築した。いまでも大聖堂の屋根には、当時イスラム圏だったスペインから戦利品として持ち帰ったらしいブロンズ製グリフォン像の複製が乗っている。白くて円形の洗礼堂や斜塔は、当時の新デザイン建築だったという、

ピサの斜塔は、じつは、鐘つき堂として建設されたが、完成直後から傾きだし、つい20年前に安定化工事が行われるまで約800年間、すこしずつ傾きつづけていた。現在、斜塔に登るガイド付きツアー(所用約30分)があり、事前にインターネットで予約するか、当日ならピサの大聖堂にあるチケット売り場で当日券を到着直後に購入するとよい。約300段ある石段は築後800年の貫禄か、磨り減って傾いており、まっすぐには歩けない。そのため、昇りはスリリング。頂上も傾き、吹きさらしなので、かなり怖い。

写真表紙 アルドロバンディコレクション 怪物
1.ボローニャのアーケード
2.ボローニャの斜塔
3.こんなに傾いてました
4.ピサの斜塔のすりへった石段
5.ピサの斜塔は頂上も傾いていてかなり怖い

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