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今年のアラマタの2大関心事は、ダ・ヴィンチと宇宙である。宇宙については、3月末にアメリカの宇宙旅行事情について取材をしてきたので、また別の機会に報告するとして、今日はダヴィンチについてご披露したい。

昨秋、日本テレビからダ・ヴィンチの特番をやるので参加してほしいとのお話があった。打ち合わせでその内容をきいて、正直腰がぬけた。500年前、失われたはずのダ・ヴィンチの巨大壁画「アンギアリの戦い」が見つかったというのだ。よくあるテレビ局の大風呂敷かと思ったが、これが凄いのだ。

1505年、53歳のレオナルド・ダ・ヴィンチは時の権力者からの依頼で、巨大壁画の制作にとりかかった。ベッキオ宮殿の「五百人広間」の壁にフィレンツェ共和国がミラノ公国を破った「アンギアリの戦い」を描くのだ。ちょうどモナリザと同時期で、向かい側の壁にはやはり依頼をうけたミケランジェロが「カッシーナの戦い」の壁画を描くことになっていた。フィレンツェ側の発表では、ミラノ軍戦死者多数に比べ、フィレンツェ軍は死者たった一名、しかもそれは落馬による死ということだった。ダ・ヴィンチは直接現地へ赴き取材をこころみたところ、現実には両軍とも大量の死者を出す血みどろの戦いだったことがわかる。「旗の争奪戦」と呼ばれる中央部分まで描いたところで、ダヴィンチはその絵をあきらめてフィレンツェを去っている。自分で開発した新しい絵の具を早く乾かそうと松明を燃やしたら、その熱で絵の具が流れて修復不能になってしまったから、というのが定説であった。しかし、ここには疑問が残る。ルーベンスやラファエロがその「旗の争奪戦」の模写を残しているからだ。

1563年、画家で建築家のジョルジョ・バザーリは、「五百人広間」の大改築をおこなった。天井を高くし、壁も天井もすべて自分の絵で埋め尽くした。当然その時、あのダ・ヴィンチの「アンギアリの戦い」も消失したと思われてきた。

今から30年ほど前、イタリアの美術解析学者マウリツィオ・セラチーニ博士は、ベッキオ宮殿を調査中、バザーリの「マルチャーノの戦い」という壁画の中に奇妙なものを見つけた。「CERCA TROVA=探せ、さらば見つからん」と書かれた小さな旗だ。それこそが、本当のダ・ヴィンチの暗号だった!!

この続きは、番組をご覧ください。4月29日(火) 19:00~ 日本テレビ「天才ダ・ヴィンチ 伝説の巨大壁画発見!」 特に最後の30分は必見です。