2006年07月

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パリから帰りました。古本や骨董品を買出しに出かけたのですが、ワールドカップも終わって主だった本屋はバカンスになり、ほとんど休業。2勝13敗でした。バカ暑いパリでしたが、おもしろい新規オープンものがあったので、見物してきました。

飲食関係では、フルーツジュースやアイスクリームを出すチェーン店の「パラディス・デ・フリュイ」。オペラ座近くの店にはいったら、バナナを腰につけて踊ったジョセフィン・ベーカーのきれいなパネルがあって、豪華なフルーツ・アイスクリームを堪能できた。いいですよ、ここは。

サマリテーヌにバーゲンでもと思って行ったら、長期休業にはいっていて、すっぽかされ、ふとその横をみると、ケンゾーのはいってるビルがあって、最上階にガラスの箱舟みたいなレストラン「コング」があったので、立ち寄りました。安くて、美味しい上に、へんなジャポニズムの内装がおもしろく、楽しめました。高いので、見晴らしもよく、ポン・ヌフがよく見えます。

でも、目玉はやっぱり、新水族館でしょう。長らくはイ湖状態にあったトロカデロ水族館は、あらたに「シネアクア」という名前で6月からオープンしてました。雑誌などにも大々的に紹介されておりまして、もはや古い飼育、教育型の水族館ではなく、名前のとおり、水(アクア)のシネ(映画館、メディア、劇場)という感じでした。

まず、足元を覗き込むかたちの「床水槽」。これは、サンゴ礁でなく、地中海の岩場の深みがイメージされ、上を歩くことはできないものの下を覗く水槽ができていました。深さがすごいです。

つぎが、狭い水族館の発明だとおもいますが、魚を逆に小さく見せる水槽です。これはアクリル板をレンズのようにして、水槽の中がうんと小さく(カメラでいえばワイドですね)見せるのです。そうすると、小さな水槽でも高さや奥行きの感覚がグーーンと広がってみえるからから不思議です。コケの生えた遠くの岩に、なんだか米粒みたいな黄色い魚が無数に群がっているのでよく見たら、キイロハギの大群でした。レンズの窓からこれをみるとはるか遠方に見え、おもしろいです。でも、実際は割合近くにキイロハギの成魚が泳いでるんですけどね。

この、水槽の中を小さく見せるというアイデアは、すごい可能性があります。サメがてのひらにのるようにみえるって、逆におもしろいですよ。

それから、なんといっても19世紀にはやった穴倉のようなグロッタです。大分のウミタマゴでも、一部やってましたが、1878年当時を彷彿させる暗い円形洞窟のまわりに小さな覗き穴のごとき水槽が並び、天井には外の池を透かすガラス窓があいていて、そこに池の魚と、青空、草木などが見えます。

あとは、スタジオ大水槽があって、ピアノを聞いたり、魚と遊んだり、ねっころがったりできるところがあります。また、全部で5箇所以上もの映像ミニシアター(10-30席くらい)があり、魚の映像や魚ウンチククイズ、アニメ,CGなどを休みなくやっております。いろんなショーの代わりですね。日本のアニメもたくさんやってます。

もうひとつ、画期的なのはレストランでした。スタジオ大水槽を斜め上から見下ろせる中二階にあり「OZU(小津)」という和食屋さんです。この内装がすごい!パリでも有名になってるそうです。日本人がたべると、まあまあですが、パリっ子にはうまいと評判。つまり、もはや食堂ではなく、サロンかレストランのイメージなのです。ショップはまだ本格化していなかったので、今は飲食しかありませんでしたが、ここで何を売るようになるのかも興味深いところです。

ただ、暑いんですよ、パリは。雨が降らず、クーラーもない人がおおいので、ご老人がばたばたなくなってました。セーヌ川を仕切ったプールもできてました。撮り下ろしの写真を楽しんでください。

すみません、時間がちょっとあいてしまいました!!

7月14日、とうとう飛鳥Ⅱが横浜に帰ってきました。それにあわせて、日本バカ歩きの会のかがやかしい世界一周航海報告をしめくくるはずでしたが、急な用事で一週間出張に出なければならなくなりました。バカ暑いパリからようやく帰国。これで飛鳥Ⅱのラスト報告ができます。会長と事務局長様、お疲れ様でした。きっと、懸案の写真や絵をお借りできると思いますので、のちほど、世界航海写真アルバムをお届けいたします。とりあえずは、無事ご帰還おめでとうございました!!!
―――――――――――  バカ歩き  ラスト報告  ――――――――――――――

7/5  事務局長H嬢より  「アメリカからハワイへ コズメルで死にそうな目に!」

こんにちは。しばらくご無沙汰しております。メール拝見しました。帰国したら荒俣さんのブログさっそく見ます!楽しみにしています。昨日は最後の寄港地ハワイで楽園考古学の篠遠先生ご夫妻と1年ぶりの再会を果たしました。 毎年ホノルルに寄港するたびに車でいろいろと連れて行ってくださり いつもご馳走になっていたので、お礼といってもささやかですが飛鳥の夕食にお招きすることにしました。まずは船内見学ツアーに、食後はカバ見学、そして最後は屋上で独立記念日前夜祭の花火が締めくくりとなりました。また来年お会いできるといいなあと思います。
さてNY後の回想です・・・。6日晴天。世界中の海を渡り歩いているクルーが皆絶賛する
コズメルの海の美しさは息を飲むほどです。仕事を終え2時半過ぎに地元の船でコズメルに上陸しました。昨年のハリケーンでは大きな被害を受けたそうですが前回訪れた時よりきれいになっている海岸沿いの歩道を歩くこと20分。地元の人たちがのんびり過ごしているビーチで泳ぐことにしました。棕櫚の葉の屋根の下にはハンモックに揺られ寝ている子供、食料を持ち込んでおしゃべりに夢中になっているおばさん達。その隅を陣取り隣のおばあちゃんに荷物を見てもらうよう手振りでお願いすると笑顔でうんうんと頷いてくれました。さっそく目の前の海に飛び込むと大小の魚が泳いでいて白砂の海底までがくっきりと見えます。
久しぶりの気持ちよさに沖に向かって泳ぎ出しました。そのもっと先には飛鳥が浮かんでいます。ふと振り返って、ハッとしました。200mくらい先の波間で戯れている子供も砂浜の人影も粒のように小さくなっていました。遠くまで泳いでしまったなと思った途端心臓が早打ちしました。なんだか怖くなってしまいました。戻ろう。行きは波に乗りすいすいと泳げましたがその波が行く手を阻み泳いでも泳いでも押し流されて前に進みません。
ふと顔を上げて砂浜を見るとさっきと変わらない情景が広がっています。ぽつねんと青い海に自分ひとりが浮かんでいる。でもその自分の焦っていることを誰も知らない・・・。
焦れば焦るほど力み、いつしかクロールでも平泳ぎでもなく滅茶苦茶に泳いでいました。
海水が鼻から口から入ってはむせ硬直しはじめた足はつりそうです。このままたどり着かなければ・・このまま力尽きたら・・そんなことばかりが頭に浮かんで全身が心臓になったかのようにバクバクと鼓動だけが響きました。必死に水を掻き海底の景色がわずかながら変わっていくのだけを見て「大丈夫、大丈夫」と半パニック状態に陥っている自分に
声をかけながら泳ぎ続けました。そしてようやっと砂浜が目前にまで近づき子供の歓声を遠くに聞きながらしばらく岩場にへばりついていました。溺れる寸前の苦い思い出を残して砂浜を後にしたのでした。(大げさのようですが、ホントに死ぬ思いをしました・・。)

大西洋と太平洋を結ぶパナマ運河を1日がかりで通峡し、19日太平洋に出ました。まだまだ遠いとはいえ海続きに日本があり、このクルーズの“まとめ”が近づいていることを感じさせます。メキシコのユカタン半島を右に見ながらアカプルコ、サンフランシスコへ向けさらに北上を続けます。毎日のように何百頭ものイルカの大群が現れては私たちの目を楽しませてくれました。大海原の静から動の様変わりに驚かされます。どこからやって来てどこへ向かうのか、彼らが過ぎ去った後には何事もなかったかのように静寂の海が広がるだけです。23日アカプルコでは、気功教室のY先生に頼まれ民芸市場に必ずあるという、アイアンウッド(鉄の木)でできたカバを探しにでかけました。目的の市場まで港から海岸沿いに徒歩で45分。とにかく暑い。ジリジリと陽射しが強いうえに猛烈な湿度!砂浜の漁師が水揚げした魚をさばいていたりペリカンにえさをあげているのを見ながらのんびり歩いていると、地元のおじさんたちが「オラ」と陽気なあいさつをかけてくれます。市場のトタンの屋根の下は風の通りが悪くさらに蒸していて、細々したものから大きなものまで所狭しと陳列されている。お土産物を見ているだけで疲れてきます。 Y先生は今回のクルーズで70くらいのカバ関係アイテムを見つけています。あらためて先生の偉大さを知りました・・。さてアイアンウッドカバはというと、ちゃんと見つけましたヨ。後で聞けばアカプルコは1年ほど前からギャングと警察の抗争が絶えず銃撃戦などもあってかなり治安が悪化していたのだとか。知らぬが仏?。

28日はサンフランシスコの観光スポットのひとつフィッシャーマンズワーフからすぐのPIER35に停泊しました。隣のターミナルの屋根には無数のカモメが羽を休めています。
けたたましい鳴き声に混じってか細い声がわずかながら聞こえます。カモメのヒナが急傾斜の屋根の上にうずくまっていました。少し大きくなったヒナはよちよちと傾斜をものともせず歩き、 ひと回り小さいヒナ達は風を避けじっとしています。なんとも愛らしいことです。 MUNIバスを乗り継いで1時間半、アップダウンを繰り返して 古着やヴィンテージのお店が多いというヘイトアシュベリー地区へ行ってきました。夢中になって洋服を見ていたら気がつくと帰船時間の2時間前まで迫っていました。ギュン。心臓を鷲づかみされたみたいです。慌ててバス亭を探したもののなかなかやってこないバスにとてもとても焦りました。乗り換えはスムーズで1時間後には飛鳥に到着できました。我ながら毎度寄港地ではまったく気が気ではありませんです、ハイ。
遊びほうけてばかりのメールでしたが、寄港地も航海中もちゃんと仕事をしていましたことを改めてご報告いたしますネ。イロイロありましたが今回もいい出会いがたくさーんありました。オカネはいつもありませんが(*_*)出会いという財産はずいぶんと貯まりましたよ。あとは荷造りだけ、と言いたいところですが下船前日まで仕事してます!このメールを持ちまして勝手ながら今航最終便とさせていただきますが長文を読んでいただきましてありがとうございました。今回も枚数は少ないですが絵を描きましたのでご覧いただける機会があったらと思います。それでは。
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7/6  Y会長より  「会長最後の報告」

太平洋をアメリカ大陸に沿って北上中、カルホルニア半島近辺ではイルカの大群に何度も大歓迎を受ける、くじらも潮吹きや尻尾を振り上げての歓迎のパフォーマンス。この近辺魚の生息には一番適しているようで沢山の種類を見ることが出来る海域。そろそろくじらも北のアラスカの海に帰る時期でもあり活発な動きが見られて例年楽しみにしている海です。海水と気温の温度差があるため霧が出やすく時々霧笛を鳴らしながらの航海。
> 6月28日。文字どうりの霧のサンフランシスコに霧笛を鳴らしながらゴールデンゲートブリッジの下を通って入港、ピア35に接岸するころには霧も晴れてブリッジも見えるように、さっそく例によって入国審査、今回は船内にて実地、スムースに終わって上陸。在住の方に一年ぶりに再会、郊外をドライブしながら話しに花を咲かせて一度帰船。午後からは歩きにダウンタウンへ、いわゆる下町に行ってみた少しずつ人出が少なくなるにしたがって荒れてきて街路もゴミが増えてくる、酔っ払いや、物乞い、大声を上げたグループ等だんだん危険な様相を呈してきたし少々疲れも出てきたので戻る。どこの都市でも目立つのが中国の人々、物凄いパワーと団結力でどこの国に行っても見かける、ここサンフランシスコも年々あちこちで侵食の度合いが大きくなってくるような印象。
夜、素晴らしい夜景を見ながら出航、一路最後の寄港地ホノルル目指して太平洋横断に。

7月3日。太平洋を無事に横断して(本当に穏やかな航海でした)pm2時ホノルルに入港接岸、早速ダウンタウンへ、中華街を少し覗いてスーパーに寄って横浜までの食料を少し仕入れて帰船、夕方ハワイ在住の篠遠喜彦先生ご夫妻を飛鳥IIにご招待して船内を案内して一緒に夕食を、幸い和食だったので喜んで戴きました、その後飛鳥IIのすぐ傍の海上で花火が打ち上げられて見学、日本みたいに長くやらずにホンの10分ぐらい、それでも近くでは見物の地元の人たちでいっぱい!

7月4日。今日はひとりでバカ歩きの締めくくりをしてきた、9時半に出発して帰ってきたのが4時、思い切り歩いて心地よい疲労感。7時半に出港して一路横浜目指して長~い航海(7日間)、海が荒れない事を祈って今航の報告は終わりにさせて頂きます。長い、拙いメールにお付き合いして戴きましてありがとうございました帰りましたらお会いしたいです、それを楽しみにしながら・・・・。ではでは!!

飛鳥IIにて。 Y会長

バカ歩きのみなさんは大西洋を横断します。いよいよ新大陸です。
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6/8  Y会長より  「誰か、心がけの悪かった人が乗船してませんかね?」

5月28日。ドーバー、昨年に引き続きホワイトクリフのドーバーへ、写真家のNさんが車で来ていて同じホワイトクリフでも違った場所にあるところに撮影に行くので一緒にどうですか、といわれたので便乗させてもらって午後から出かけることに。午前中はドーバーの街を2時間ばかり歩き、午後からはイギリスの田舎道を快適にドライブすること2時間強、セブンシスターズというところに到着、港近くのクリフとは違って雄大で素晴らしい景色を観ることが出来満足。観光客もいっぱいで名所なんだな~何ていいながら帰り、途中疲れたので田舎町のパブに入ってカプチーノを飲んで(それが大きいのなんのって・)帰船。5月29日。雨、今航海は雨のお天気が多く誰か心がけの悪い人が乗っているんじゃあないかと・・・・・俺ではないけど。19時出港。いよいよヨーロッパともお別れ、長い航海が続く大西洋横断へ。

6/10  事務局長H嬢より  「揺れてます、大西洋横断中です」

こんにちは。揺れる大西洋から。5月29日にドーバーを出港し3日目あたりから、とうとう揺れだしてきました。風速19m波の高さは3m。聞けば今航の前のテスト運航では日本近海の時化でコンピュータプラザの椅子が勝手に動き出したそうですから、揺れているといってもまだ序の口ですね。大西洋の海神は素知らぬ顔をして横断させてはくれないようです。
ドーバーでは去年と同様、ホワイトクリフへ行ってきました。去年とは違い、微風陽射しおだやかで、飛び交う虫が帽子にあたる音、虫の絶え間ない羽音に、ふーふーと風の音、風にそよいだ草木のこすれ合う音、自分の衣擦れの音、高らかにさえずる小鳥の声白い崖の上は美しいたくさんの音に満ちていました。
崖下へ降りる急勾配の道をくだり、荒波で丸く削られた小石の狭い海岸にたどりつくと、寄せる波に洗われるたびその丸い小石たちがまるでさざめくような音を奏でました。打ち寄せる波の砕ける音と小石の音が響きあって怖いような気がしました。日曜日と知ってか野うさぎは2匹しか現れませんでした。帰り道は崖向こうへ回り込み、一面の菜の花畑を突っ切り、体中が黄色い花粉に染まりました。
今日はうねっていますが昨日ほどではありません。何回体験しても大西洋横断はいやです。

6/8     Y会長より  「英軍のヘリが飛鳥に降りてきた!」

5月30日。大西洋に出て9時ごろ突然キャプテンの放送、イギリス海軍のヘリコプターが救助訓練の為本船に降下訓練をしたいとの要請があってOKした、との放送早速甲板へ、多くのお客さんも飛び出し見物、近づき降下して甲板にちょっと足をつけ再び上昇、あっという間の出来事ながら拍手喝采、洋上のハプニング。長~い大西洋横断も荒れずに(一日だけちょっと揺れた)無事アメリカ大陸のカナダに到着。セントローレンス湾から同川に入りフヨルドに寄り道。

6月7日。時間の改正1時間進み、朝の気功教室も、いささか大変。ありがたいことに大勢来てくれてうれしい限り。日中はくじらがでたりイルカが飛んだりと楽しい航海、夕方またまた霧が発生霧笛を鳴らしながらの航海に。

6月8日。シャローットタウンが荒天のために入港できないとの放送が早朝あり、赤毛のアンの小説で有名なこの島、皆さんがっかり、どこまでもついていないこの航海。残り一月はすばらしい旅になれ!

6/9  事務局長H嬢より  「外の海は静か、でも・・・」

揺れる大西洋横断は3日目の時化を除けば例年になく静かな航海でした。6/4にはセントローレンス湾内に入ると一層の穏やかさ。ベタなぎとなり午後波のない海面に大型の鯨の背が3つ現れ、コンピュータプラザでは大騒ぎになりました。昨日夕方セントローレンス川を遡り、サゲネイフィヨルドに入りました。プランクトン豊富なせいでしょう、川面に浮かぶ無数の白泡とギネス(ビール)色の水との組み合わせはおいしそう、いえ美しかったです。シロイルカ(ベルーガ)や小型のクジラも見ることができました。サケの川のぼりならぬクジラの川のぼりです。
6/6はケベック港10時入港。川幅は次第に狭まり、針葉樹と緑原と小さな家々の牧歌的風景が迫ります。

追伸:われらが船旅の大達人Tさんが、日本からメールで、荒俣ご夫妻と水木先生がいらしたニューギニアのことを教えてくださいました。Tさんの青天井の好奇心を満たすには、今航の飛鳥Ⅱはまだ物足りないようで、外国船クルーズに浮気中らしいですよ。3日から13日までマイアミ出港のフリーダムオブザシーズ(世界最大158000トン)のデビュウクルーズに出かけられてます。なんと、スケートリンクやサーフィンが出来るプールにロッククライミングの出来る壁まであるそうです。船の中にそんなものまで果たして必要なのかしら?って考えてしまいますけど、飛鳥Ⅱの3倍強、乗るだけで疲れそうですが、それにしてもTさんはほんとにタフですね。

6/14  事務局長H嬢より   「入国審査は疲れます」

6日目早朝に北米大陸セントローレンス湾内に入るとベタ凪に。最高気温は14-15℃ですので、風にあたるとまだ寒い。その日の午後、まるで駆け出したくなるような平らな海原に
突如大型のクジラが4頭姿をあらわしました。距離はありましたがその背びれの大きいこと、悠然たる様! コンピュータプラザは大騒ぎになりました。翌日はまるで海のような川幅の広いセントローレンス川を遡上しました。栄養に富んだ飴色の水面に波しぶきの白い泡がギネスビールのよう。おいしそう・・・いえ、そのコントラストがとても美しかったです。ときおり小型のクジラやシロイルカ(ベルーガ)も見られました。サケの川のぼりならぬクジラの川のぼりです。

6/6薄着1枚でも暑いくらいの陽射しのケベックは爽やかで久しぶりに太陽をたっぷり浴びた感じ。
6/8赤毛のアンの島として有名なプリンス・エドワード島寄港は強風のため残念ながら今航2度目の抜港となってしまいました。赤毛のアンの島ということで心から期待しておられた多くの女性のお客様たちの落胆ぶりは見ていてかわいそうでした。そういう私も、少女時代(ウッそんな時期もあったのネ)の愛読書は村岡花子さん訳の赤毛のアンシリーズでした。
そしてその頃NHKでは「大草原の小さな家」を放映していて、時代背景や設定は違いますが、本の世界が伝えている情景はきっとこうだろうと思わせ、毎週土曜日の6時が待ち遠しかったのを覚えています。当時、神様とか教会とかちんぷんかんぷんでしたが両親を敬い大切にすること、大人の言うことを聞くこと、家族や友達を大切にすること、人を信じること、嘘をついてはいけないこと、自分より弱いものを守ること。いろんなことをローラが学んで成長するのを見ながら、私もまた教えてもらっていたように思います。でもまだ子供だったので、「私もマイケル父さん(ローラのお父さん)がほしい!」と言ったら、「あんたにはお父さんがいるのにとんでもない」と母親に怒られました。なんだか懐かしいです。

11日NY入港の朝は晴れでした。でもハドソン川の川風は冷たい!。12デッキに出たら風が強くてコートのすそは捲れるは髪はやまんばのようにぐちゃぐちゃに乱れに乱れまくって。でもなんだか、それがおかしくて1人でげらげら笑ってました。様々なバランスがあって雨も晴れも曇りもすべて大切な要素としりながら、雨の神様には本当に申し訳ないですけどやっぱり久しぶりの晴れ間に気分も爽快です。
入国審査は指紋と眼の生体認証と対面審査が必要だそうでターミナルを出て、長い列に並ぶこと30分。入国審査官はみんな仏頂面でエラそう。その中の1人、おばさま審査官が陽気にお客様と話をしながら審査をしていました。あの人にあたるといいなあと思っていたら、なんとそのおばさま審査官のところへ。些細なことですがなんだかツイてる?指紋をスキャニングする機械に指を置いただけで「エクセレント!」なんて言ってくれます。こちらまで楽しくなっちゃう。別れ際に「Have a nice day!」と言ったら「you, too」と言ってくれました。なんだかいい1日になりそうです。
11日はプエルトリカンの1年に1回きりのパレードで大賑わいでした。こんなにもプエルトリカンがNYに住んでいるのか、それとも方々からやってきたのか、通りという通りは国旗の赤と白と青のTシャツを着た大柄の若者達や褐色の肌を露わにした姿身の美しい女性で埋め尽くされていました。
岸壁から程近いビルとビルの隙間の1軒分のスペースに土日だけオープンしている小さな庭を見つけました。バスタブが池になり、貝殻が歩道を縁取り、愛らしい草花が咲き誇り、小さな椅子に腰掛けひと呼吸すると繁茂する草木の涼やかな空気が胸いっぱいに広がりました。手入れをしていた女性にとても素敵な庭だと言うと、少し前には大きなピンク色の花が咲いていたと手振りで教えてくれました。庭の隣では建築中のビルの鉄骨がむきだしです。生活スタイルも思想も人種も過去も様々な人たちが、多様な生き方をしているのがNY。何をしたわけではない1日なのになんだか気が晴れた1日でした。

このメールを書いている最中に、低空飛行した米軍機の衝撃波で船が壊れそうな音を立ててぶるぶると船が揺れました。振動直後に空を見回しても速すぎて相手は見えず。なおのこと、怖かったですヨ。沖縄の人たちのことがふと頭をよぎりました。

いよいよ、豪華船のたびとバカ歩きの会は佳境に入ってまいりました。ぼくもわくわくしながら報告を編集しております。写真・・・そうなんですね、写真がないんですね。14日に飛鳥Ⅱが帰港するまで、手にはいらないんですよ。で、写真とスケッチは帰港後にバカ歩きの会の両巨頭からお借りできると思いますので、ちょっと待っておいてください。
では、絵なしで申し訳ございませんが、ラジオ実況でも楽しむつもりで、どうぞ。

5/26  事務局長H嬢より 「去年行ったお店の人が、私を覚えていてくれて」

お久しぶりです。5月の体験記ですが、バルセロナ・リスボン・ルーアン・ワルネミュンデと、訪れたことのある地ばかりの楽しみ方のひとつに、依然訪問したのと同じ場所への再訪がありますね。
リスボンでは去年も訪れたアルファマ地区の狭い路地のファドのお店に行ってきました。ファドの良し悪しなんてわかりもしませんがポルトガル語しか通じない店で素朴な地元の料理を味わいポルトガルッ子の歌に耳を傾けた「自分の場所」が世界のどこかにあるというのはおもしろいものです。その場所もすっかり忘れていたのですが、地元のおじさんに去年撮っておいたその店の写真を見せたらその狭い路地の入り口まで連れて行ってくれました。今日のメンバーは去年とは違いましたが店のマスターもマダムも相変わらず健在で
私のことを覚えていてくれたのが何よりうれしいことでした。店内の様子は変わらないけれどマイクが天井からぶら下がり、英語のメニューもできて、ますます繁盛しているようです。
思わぬおいしさだった新メニュー?うさぎ肉のグリルにかぶりついていると、この日下船したポルトガルギターとマンドリンの日本人ユニット「マリオネット」の2人がひょっこり顔を出してくれました。いったん飛鳥を離れ別れてしまったお二人が我々を探し当て再会できたのもこれもまた嬉しいことこの上ありませんでした。

ドイツのワルネミュンデでは前々日からの予報どおり、小雨が降ったり止んだりそうかと思えば、重たい雲の切れ間から薄日が差すと皮のコートが邪魔になるくらい暑くなりました。ワルネミュンデを歩くつもりでしたが飛鳥を出てすぐ地下道をくぐった目の前の駅にちょうど電車が止まっていたので、急遽ロストックに行くことにしようと決めました。
券売機の前で買い方が分からず往生していると若い女性駅員がすっとやって来て切符を買うのを手伝ってくれました。なんて親切なんでしょう。まもなく電車は出発、ところがロストックの名前の駅が5つくらいあることがわかりました。(例えば東京東駅、東京西駅、東京中央駅・・といった感じです)どの駅で降りればいいのかわからなかったところへ、
途中の駅から乗りあわせた飛鳥のお客様が乗ってきました。降りる駅を間違えられてしまったそうなのですが路線図を持って入念な下調べ済みのお客様はまさに救世主。一緒にくっついて無事ロストックへ着くことができました。

行き当たりばったりの割にハズレに当たることはあまりないのですが、もしこのお客様に行き会わなかったら間違いなくロストックにたどり着くことはできませんでした。帰りはワルネミュンデ行きの観光船に乗ることにしましたが、川岸に停泊していた船がまさに出発してしまったところでした。ところが、すんでのところで乗り遅れた我々を見た操舵手が、信じられないことになんと船を岸壁につけてくれたのです!足場がないのでそれこそ船へ飛び移って、帰路に着きました。

5/19  Y会長より 「北のヨーロッパへ 寒い、寒い!」

13、14日。リスボンを出向し、大西洋をルーアンに向かって航海しました。
15日。ドーバー海峡を抜けてセーヌ川の河口へ、ノルマンデイ橋をくぐってこれから6時間余のリバークルーズ、素晴らしい景観を観ながらののんびりとしたクルーズ。おかげで、気功教室は開催するも景色のほうに軍配があがってしまった。両岸には新緑、菜の花、と春爛漫の景色、民家からは手を振りながらの地元に人たちの歓迎、そこここに見受けられる大きなサイロ群、フランスが農業国なのがよくわかり、日本はどうなんだろうか?食料自給率はなんて思いながら・・・・。ルーアンの岸壁は前に来たときより遠いところに着岸。でも気持ちの良いセーヌ川沿いの遊歩道を30分ぐらいかけて街へ。ノートルダム寺院やジャンヌダルクが幽閉された塔、木骨造りの家並みが素晴らしい市街地を歩き回り、パンを買ってきた。部屋でオリーブオイルや生ハム、チーズ等でのんびりと簡単で心豊かな夕食。これも飛鳥Ⅱの日常です。
16日pm9時出港。17日は一日中霧の中の航海、あさ4時ごろから大体30秒おきぐらいにに霧笛を鳴らしての航海でも午後2時ごろには霧も薄くなりほっとする。

18日。雨の一日風も強く外にはちょっと出るのは勇気がいる、外気温も10度前後と寒くなってきた、今ノースシー(北海)、これからバルト海に入りドイツのワルネミュンデに向う。19日。雨のワルネミュンデに着岸、寒い、まだ街は静かなので隣のロストックへ電車とトリムを使って行く、前に来た時に大変印象深かった街角にあった彫刻を見たいと思って、探し、見つけ、懐かしく対面そのごは街中をぶらぶら、帰りはフェリーで帰ってきた、景色がまたちがって新鮮。ワルネミュンデで降り、屋台でランチ、豆や野菜の入ったどろりとしたスープに大きなソーセージを一本丸ごと入れたもの、立ったままで港の景色を見ながら食べたけど美味でした。

5/25  Y会長より 「サンクト・ペテルブルクへ 危機一髪!!!」

続報おおくりいたします。5月21日。バルト海に面したタリンに入港、ここは初寄港地、世界遺産にも指定された旧市街地が小高い丘の上に船からも良く望め、城壁や教会の尖塔を目指して早速上陸し歩き始めた。旧市街地に素晴らしい街並、石畳も歩き易く、そこここにある展望台からの眺めも素晴らしい、麻の製品や木の食器等があちこちの商店に、まだロシアから独立して15年、ロシアの影響もまだ色濃く残っているが、またゆっくり来たいところだ。3時過ぎごろから突然の雨、それも雷と雹をともなっての豪雨で途中で雨宿り。間もなく止んで、水溜りに飛鳥IIが映えて、きれい!
5月22日。二度目のサンクトペテルブルグ、前回と同じネバ川なれど、より遠くの港に着岸今回は注意も厳しかったのでシャトルバスで。夜は危険情報も強く出されたので、ランチを食べて帰ろうと、3人でレストランへ。なんともレトロなところです。先ず雰囲気に満足、出てきた料理もこれまた満足、3人ともいい気持で表へ少々浮かれ気味で歩いていたら、突然数人が後ろから大声で帽子を振りながら喚いて近づいてきたので、これはヤバイと思い、1人の女性をかばって近くの商店に逃げ始めたらもう一人の男性のザックからカメラが奪われると言うアクシデントに見舞われてしまって大ショック・・・・・。すごいことになってしまった。暴力に訴える人たちがいるのだ。
5月24日。ヘルシンキ、大荒れのお天気、寒い、それでも9時半ごろから回復したのでシャトルバスで出かける、歩き始めると手がかじかんでくる、歩き回ってマーケットや蚤の市等を見て廻る、途中街外れの日本人などおよそ訪れたことの無いような小さな店を覗き込むと肝っ玉おばあさん?がいて中に入ってコーヒーを飲んでいけ、なんて強く勧められた。身振り手振りで話し込んで??いるうちに、近所の人たちも来ててんやわんや、の一時間を過してきた、果たしてお互い、意思の疎通は出来たんだろうか・・・・でも楽しい楽しいひと時だった。強風の為出航が二時間半ぐらい遅れてタグボートを二隻つかってやっと離岸、一晩中揺れての航海。
5月25日。1時間遅れで10時にストックホルム港に入港、途中の景色が素敵でした、新緑が目にやさしくて寒さも忘れて見入っていました。それにしても寒い、最高気温はやっと10度行くか行かないかです、ノーベル賞受賞式で有名な市庁舎や王宮、衛兵の行進等を見ながら4時間ぐらい歩き雨が降ってきたので帰船。クルーズもいよいよ後半への折り返しに入って、ヨーロッパもイギリスのドーバーを残すだけとなりました。

6/2 事務局長H嬢より 「治安が悪化したサンクト・ペテルブルクの憂鬱」

22、23日はサンクトペテルブルグでした。前回きたときにはネバァ川沿いに歩いて40分ほどの岸壁にとまっていたのですが、今年は市内まで車で30分ほどのコンテナばかり積まれた殺風景な港に停泊していました。4年前、白夜でまだ明るい20時頃飛鳥に向かって
ひとりで土手を歩いていたら、こちらに向かって歩いてくる20代男性の2人組に突然大声で怒鳴られました。そばに寄って来るわけではなかったのですがすれ違いざまに、そして背後でもしばらく私に向かって罵声をあげていました。周りには数えるほどの人しか歩いておらず彼らの言葉はわからなくても勘違いではなく私に向けられたものでした。なにしろびっくりしたのですが、直感的に反応しないほうがいいと思い、まるで自分に言われていないかのようにすまして、彼らとすれ違ったあとは足早に歩いて帰ったのを覚えています。世界の各所をひとりで歩きましたが一番怖いと感じたところでした。
今年のサンクトペテルブルグは当時より治安も悪くなったようで当局の管理が厳しく、日本であらかじめビザを取得しなかった方は降りることができず、急増中の盗難窃盗に十分注意するようにとずいぶん喚起されていましたが、カメラを盗られてしまったりタクシーで法外な料金を請求されたりということがあったようです。私自身は幸いに何もありませんでしたが、警戒心でいっぱいだったせいか、歩いていても気持ちが乗らないといいますか、ロシアならではの重厚で趣きある雰囲気を楽しむことができなかったのが残念でした。
でもお昼に食べたボルシチがとてもおいしかったです。
おもしろいのが、混雑もしていないのに、ボルシチを頼んだ隣のテーブルではもう売り切れになってしまったことです。ロシアが妙なことになってきているようです。

前回に引き続いて第二回、5月編(4月下旬もちょっとはいってます)をお送りいたします。
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5/2 Y会長より  「地中海は洗濯しながら航海して」

4月27日、ようやくスエズ運河を抜けて、待望の地中海にはいりました。まずはエジプトのアレキサンドリアに入港、一年振りの岸壁はきれいになっていて見違えるよう。今回はカイロへ行ってきました、以前一度行った時はほとんど見られず仕舞いだったので(ツアーだったもので)今回はアレンジしてもらって行ってきました。総勢8人(全部業務乗船の人達)にドライバーが二人、ガイドが一人、それにツウーリストポリスが一人付いて着岸後直ぐに出発、普通バスだと三時間半かかるところ二時間半で飛ばしてカイロに到着。

先ずピラミットを見学、今回はゆっくりと内部にも入り(これが大変腰をかがめて中腰の姿勢で階段の上り下り)、それから駱駝に乗っての記念撮影、スフインクスも近くまで行って全容を見て昼食、これが地元の庶民の人達が食べる物をということで直ぐ近くのレストランへ、マカロニやパスタを細かくしさらにお米を一緒に茹でて器にいっぱい入れてその上にじゃこ?や豆などをトッピングしたものにトマトスープをタップリとかけてそれを混ぜ合わせてさらに一寸辛い香辛料を味付けにしてスプーンで食べる大変シンプルなお料理。これがけっこう美味しくて満足でした。

その後はモスク(世界遺産になっているようでした)を二箇所と博物館を見学して帰路に、帰りがまためちゃくちゃ飛ばして帰ってきました、ひとつ間違えば・・・・・・と思うとぞっとしました。
28日。今度は親しいクルーの皆とランチに毎年行っているレストランへ歩いて、ここではピザやパスタ、それからエジプト独特のパン等を取って皆でわいわい言いながら食べて、帰りはごみごみしたバザールの喧騒の中を通り抜けて帰船。

4月30日。ギリシアはアテネの外港ピレウスに入港、朝から雨模様のお天気、早速街に・・・。途中から雨が強くなり折りたたみ傘を街中のキオスクにて買ってまたまた歩きを継続。ゼア湾を見ながらコーヒータイム、雨も小降りになったので再び歩き始め昼ごろ一旦船に戻り地下鉄駅近くで開催されているバザールに行ったら物凄い人出、喧騒と混雑の中を歩きまわったが欲しい物はなにもなし。合計五時間ぐらいの歩きでした。
5月1日。エーゲ海のサントリーニー島に、投錨後テンダーボートにて上陸ジグザグの階段状の道を歩く、ここはロバに乗って街まで行く道でもうロバの落し物(うんこ)だらけ臭いも強烈で体中に染みこんだ帰ったら早速洗濯とシャワー、3時には抜錨素晴らしい景色を見ながら次の寄港地ベニスに。

5/9 「バカ歩きの会」事務局長H嬢より 「イタリア食べまくり!」

5月3日はヴェニスに帰港。夜は上陸して夕食を食べにでかけました。飛鳥IIが停泊している港から歩いて20分くらいのところにローマ広場があります。気功教室のY会長が見つけた小さな運河沿いの閑静なたたずまいのレストランに入りました。メンバーは船で3番目にえらいチョッサー(チーフオフィサー)と船医と、ポルトガルギターとマンドリンの日本人ユニットマリオネットのお二人と先生、紅一点の私?の6名です。
サラダとピッツァとスパゲティとワインを頼みました。サラダにはオリーブオイルとスプレー式のバルサミコ酢(便利!)を好みで合わせるだけのシンプルさなのに、味が濃く非常においしかったです。ピッツァもスパゲティもおいしい。特にイカ墨のスパゲティは目からスミ?じゃなくてうろこのようなおいしさでした。

オープンテラスのほのぐらいろうそくの灯りが私達の顔を照らし、ワインもますます進みました。雰囲気もよく食事もおいしくしかもリーズナブルで大満足の夜でした。翌日は港から黄色い看板を目印にしてサン・マルコ広場を目標にS.CROCE地区からS.POLO地区へと入り組んだ路地を歩きました。観光客もまばらで、地元の人の生活通路なのでしょうね、靴音だけが響く静かさに包まれ、咲き誇る藤の木の影がつくりだす煉瓦の壁との絶妙なモザイクにはっとしたり、小広場の噴水の周りで思い思いに過ごしている人々の風景は、時間を置き去りにしてしまった一瞬を見たようでした。点在する辻角のお店を覗き覗きしながら
気がつけば遠くに観光客でごった返すリアルト橋が見えてきてサン・マルコ広場の人いきれを思い引き返すことにしました。人ごみは東京で十分ですモノ。

アレレ?ナポリからのお便りでしたのに前置きが長くなりました。ピッツァマルゲリータはナポリが発祥の地と云われています。知り合いのお客様とタクシーで市内観光をして別れた後、王宮近くの生い繁った檸檬の木が木陰になったレストランへ入りマルゲリータをいただきました。本場ならではの生地、酸味のあるトマトソース実においしかったです。グラスで頼んだはずの白ワインがデキャンタで来てしまい午後の仕事があるのに飲み切ろうと無理してみましたが半分以上も残ってしまいました。ああ残念。

6日シシリー島のタオルミナの目抜き通りから少し外れた通りでいかにもおいしそうなオレンジが実をつけていました。白い花をつけた木の下にはいい香りが漂い、それを嗅ぎつけた虫が無数に飛び交っています。オレンジにしてはかなり小ぶりのを5つばかりもぎ取りました。翌日、厚ぼったい皮をむき小さい房を口に放り込んだ途端に「スッパイ!!」顔をしかめるほどの熟しきれていない酸っぱさでした。残りは3つ、「機が熟す」のを待っているところですが、はたして甘くなるでしょうか。既にいただいたオレンジ2個分の皮は部屋の窓辺に並べてあるのでカラカラになりかけています。乾燥したシシリー島の太陽をいっぱい浴びた天然入浴剤を湯船に浮かべてみればちょっとしたリゾート気分に浸れるでしょうか?

昨日はベタ凪でしたが夜更けて久しぶりに揺れていました。今日はバルセロナ。天気予報では快方に向かうとのことですがなにやら怪しげな雲行き。午後から出かける予定です。バルセロナでは毎年時計を買うことにしています。素敵な腕時計を見つけられるといいのですがなにせ停泊時間が短いので午睡でお店が閉じてしまうタイミングに出くわさないよう、そればかりが気がかりです。(もちろん私が買うのはとってもリーズナブルです)出かけても出かけなくてもGW狂騒でお疲れでしょう。
お体にはご無理なさいませんように。それではまた。

5/11  Y会長より  「ヴェネツイアのダブル報告。やっぱり、歩いてますねー!」

5月3日。ベニスに入港、何時もの岸壁には着岸できず(大きくなったので)奥?の方の客船ターミナルに夕方着岸、早速街に偵察に、仲間と今晩食事に行くのでその下見がてら、二十分ぐらいでローマ広場に、ここは本土と結ぶバスターミナル、近くには列車の駅も。二時間ぐらい歩き回って船に戻り、シャワーを浴びてから総勢六人で食事。見つけておいた店は素晴らしいロケーション、運河沿いで隣は教会の広場、のんびりとリラックスしての食事はこれまた最高に美味しく皆満足まんぞく、きれいな夜景を見ながら帰船。

4日。何時もの岸壁だと、中心部のサンマルコ広場はすぐ近くなのに今回はかなり遠く、シャトルボートが出ることに(三十分ぐらい)。それには乗らずに歩いて広場まで、迷路のような路を無事到着。帰りは違う路で少々迷いながら帰って来ました、四時間以上歩いて帰船。
5月6日。シチリア島のタオルミナへ入港、ここでは飛鳥IIになって初めてのテンダーオペレ-ション(ボートに乗り換えての入港)、かなりクルーは緊張してたが無事何事も無く終了し、良かった良かった。上陸後はもちろん歩き、海岸線の街ではなく山の上の街が目的地、もちろん皆さんはシャトルバス。マリオネットの二人が一緒に行くというので連れだって歩き始める、一時間ぐらいで到着。二人はほっとしたよう。その後写真家のNさんの車に便乗してメッシーナ海峡までドライブ。すぐ近くにイタリヤ本土を見て、ひなびたホテルのレストランでスパゲッチーを食べて帰路に。時間がなくて慌しい食事、多分忙しい東洋人が(日本人と認識したかどうか)・・・・・なんて噂してるね、なんていいながら。やはり日本人はせわしないんだね、と反省。

5月7日。ナポリ、街の中心部に近いターミナルに接岸、お客さんの要請に抗しきれずタクシーでの市内観光(これも楽しい・・・・かな?)のお供でナポリは特記事項なし。
5月9日。バルセロナ、ここもマリオネットの二人と街へ歩いて、市場に入ってオリーブオイル、生ハム、オリーブ、チェリー、からすみ、バケット等を買い込んで船に戻りデッキでランチ、三人とも大満足。二人とも大変喜んでけれ素敵な思い出ができました。
5月11日。リスボンに到着。ここでのレポートは次回に。これから街に行かなくては。ファドを聞きに行ってきます。

5/19  Y会長より 「現地で聞いたファドはすばらしい」

5月11日。地中海から大西洋に出て、テジョウ川を上ってリスボン港にpm4時頃着岸。5時半頃から出かけました。昨年行ったファドのレストランを目指し街へ、あちこち歩き回って今夜のメンバーとの待ち合わせ場所に7時半に到着、そこからさらに歩いて八時ごろにいっぱつで昨年の店を見つけ入っていくとマスターも女主人も覚えていてくれて歓迎され楽しくなり早速料理を注文。いわし、生ハム、オリーブ、パンは直ぐに出てきて皆お腹が空いていたのですぐに食べ始め、それぞれの美味しさに嬉しくなって皆にこにこ、頼んだラビット、たら、名前も解からない魚のそれぞれの料理も出、ワインを飲みながら食事、意外とラビットが美味しく大ヒット。

九時前後からいよいよファドの始まり、せまい店でお互いに膝を接して座っているところだから舞台などなく一角を空けてそこにポルトガルギター、ギターの二人が演奏、今まで料理を運んでいたおばさんが素晴らしい唄を歌いだし、次々に歌手が登場して店の中はファドファド・・・11時頃まで居て帰ってきました。楽しい一夜でしたよ!!

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