京都の丸山公園にある祇園桜の夜間照明は、花が散りかけるころに早々と終わってしまうので、ぐずぐずしていると見損なってしまう。照明がつく最後の日曜日に、何とか都合をつけて京都へでかけた。
今年は寒い日が多かったせいか、京都名物の枝垂桜は満開状態に近いあでやかな姿を保っていた。なのに、この日かぎりで夜間照明を切ってしまうのは、おかしい。そして、惜しい。
この日は雨のそぼふるあいにくの天気だったが、夕方に京都駅に到着後、その足で「哲学の道」へ出向いた。疎水にそって桜が咲き狂っている。銀閣寺橋で車を降り、若王子橋まで、雨の中を歩くことにした。距離はよくわからないのだが、今年85歳になる母を車椅子に乗っけて、雨水のたまる砂利道を押しながら歩くと、予想以上に疲れた。とても、若王子まで行けそうにない。若王子というと、どーーしても、『新撰組血風録』で土方歳三を演じた栗塚旭を思いだす。たしか栗塚さんの喫茶店があったよなーー、とは考えたものの、聞けば2キロもあるという。
母を二回、車椅子から落としたところで若王子までの散歩は、断念、タクシーに来てもらって、早々に円山公園へ移動した。料亭で若竹の懐石料理をいただき、疲れも癒えたところで、さーーこんどは祇園の桜を見物しよう、と外へ出たら、うまい具合に雨もやんでいた。
坂をゆっくり下りて、長楽館の前をすぎると、ライトに照らされた巨大な祇園桜が見えてきた。とたんに、ワクワクする。夜桜の元祖とでもいうのだろうか。昔、祇園桜は本当に祇園にあって、夜になると人々が桜の下で踊りあかしたのだそうな。九鬼周造がこのあたりに住んでいたらしく、祇園の夜桜のことをどこかに書いていた。いま円山公園に移された祇園桜は二代目だが、それでも、こいつは桜の「もののけ」だと、ぼくは思っている。照明に下から照らされて、上からおおいかぶさるように枝と花を広げるその姿は、まったく化け物じみている。だから、夜桜の下で京の町衆が踊り狂うのは、祇園桜自体が踊り狂っているのにつられているだけなのだ、などとと妄想してしまう。
そういうわけで、今年も無事に、化け物の桜を眺めることができた・・・・と思いきや、ナンカちがうぞ! 両手を前につきだし、桜色の袖をぶらぶらさせながら、「オバケだぞーー!」といきなり声をかけてくるようなもののけの迫力が、今年はないのだ!花は満開なのに、なんだかさっぱりと剃髪して山寺にでも出家したような、変に悟りをひらいた桜になっている。おどろいた。あんなに色っぽくて、誘惑されそうな・・・まるで三輪明宏さんの「黒蜥蜴」みたいな祇園桜だったのに。
屋台の水あめ屋さんで聞いてみた。そしたら、祇園桜の上のほうを切ってしまったという。ちょうど、フードをかぶったように覆いかぶさっていた頭のほうが、ばっさり切られていたのだ。いちばん上の一層がないから、化け物感が消滅したのだった。
桜守の佐野藤右衛門さんが、ほんとうに祇園桜を切る決断を下したのだろうか? おととし、藤右衛門さんにお目にかかって、京の桜のすごさをくわしく話してもらったばかりなのに。
「ソメイヨシノはあかん、色気がないわ、いっぺん祇園桜、見てみぃ、乳母桜の色気っちゅうもんがどんなにすごいか、感じ取っていってや。そりゃー、すごいもんやで」って、いってくれたのに。
すこしがっかりしたので、京都の夜桜のオバケ感覚を奪回すべく、夜10時まであちこちの夜桜を見てまわった。でも、ほんとうは、祇園桜とともに見たい夜桜があったのだが、今年はもうライトアップしないという。日曜の夜なのに、それはないでしょう!
ソコというのは、もちろん、平安神宮だ。あそこの枝垂桜はすごい。おととし、平安神宮の夜桜を堪能したのだが、こちらは吉野の山桜の下で「望月のころに死にたい」といっていた西行の気分がわかった。魔物なのだ。桜はみんな、夜になると動き回る。そんな気味悪さにあふれた、圧倒的におそろしい枝垂桜だった。
でも、今年はソレが夜に見られない。仕方がないので、翌朝見に行った。朝見る平安神宮の枝垂桜は、たしかに華やかで、都の洗練を感じさせるのだが、「魔物」じゃない!その点、本人がすでに妖怪に近くなっている老齢の母は、車椅子が通れない回遊路にもかかわらず、自分の足で歩いて見物する、といいだした。しかも、平安神宮の枝垂桜にうっとりしているうちに、とうとう庭を一周してしまったのだ。でも、ま、いいか、魔物のかわりに妖怪でも。
東京に帰って、おととしの京の桜を、写真で見直してみた。ここに載せた写真のうち、最後のものがおととしの祇園桜だ。平安神宮の枝垂桜も夜桜の写真はおととしの撮影。祇園桜も平安神宮の枝垂桜も、やっぱり二年前は化け物だった。藤右衛門さんがいってたっけ・・・桜はな、満月にむかって満開のピークをもっていくんや。西行はんはそれを知っていたから、望月のころに死のうと思いはった。つまり、満開の花の下で死のうとしなはったんや。昔の人は科学知らんでも、ちゃんと自然のことを知ってはった。今の人は、知識あっても、自然のこと、まるで知らんわ・・・・
藤右衛門さんの言葉が、つくづくと思い出された。
来年は、祇園桜が化け物の力を回復してくれるだろうか? ぼくには、そう祈ることしかできない。それから、平安神宮の夜桜も、来年もういちど見たいものだ。
今年は寒い日が多かったせいか、京都名物の枝垂桜は満開状態に近いあでやかな姿を保っていた。なのに、この日かぎりで夜間照明を切ってしまうのは、おかしい。そして、惜しい。
この日は雨のそぼふるあいにくの天気だったが、夕方に京都駅に到着後、その足で「哲学の道」へ出向いた。疎水にそって桜が咲き狂っている。銀閣寺橋で車を降り、若王子橋まで、雨の中を歩くことにした。距離はよくわからないのだが、今年85歳になる母を車椅子に乗っけて、雨水のたまる砂利道を押しながら歩くと、予想以上に疲れた。とても、若王子まで行けそうにない。若王子というと、どーーしても、『新撰組血風録』で土方歳三を演じた栗塚旭を思いだす。たしか栗塚さんの喫茶店があったよなーー、とは考えたものの、聞けば2キロもあるという。
母を二回、車椅子から落としたところで若王子までの散歩は、断念、タクシーに来てもらって、早々に円山公園へ移動した。料亭で若竹の懐石料理をいただき、疲れも癒えたところで、さーーこんどは祇園の桜を見物しよう、と外へ出たら、うまい具合に雨もやんでいた。
坂をゆっくり下りて、長楽館の前をすぎると、ライトに照らされた巨大な祇園桜が見えてきた。とたんに、ワクワクする。夜桜の元祖とでもいうのだろうか。昔、祇園桜は本当に祇園にあって、夜になると人々が桜の下で踊りあかしたのだそうな。九鬼周造がこのあたりに住んでいたらしく、祇園の夜桜のことをどこかに書いていた。いま円山公園に移された祇園桜は二代目だが、それでも、こいつは桜の「もののけ」だと、ぼくは思っている。照明に下から照らされて、上からおおいかぶさるように枝と花を広げるその姿は、まったく化け物じみている。だから、夜桜の下で京の町衆が踊り狂うのは、祇園桜自体が踊り狂っているのにつられているだけなのだ、などとと妄想してしまう。
そういうわけで、今年も無事に、化け物の桜を眺めることができた・・・・と思いきや、ナンカちがうぞ! 両手を前につきだし、桜色の袖をぶらぶらさせながら、「オバケだぞーー!」といきなり声をかけてくるようなもののけの迫力が、今年はないのだ!花は満開なのに、なんだかさっぱりと剃髪して山寺にでも出家したような、変に悟りをひらいた桜になっている。おどろいた。あんなに色っぽくて、誘惑されそうな・・・まるで三輪明宏さんの「黒蜥蜴」みたいな祇園桜だったのに。
屋台の水あめ屋さんで聞いてみた。そしたら、祇園桜の上のほうを切ってしまったという。ちょうど、フードをかぶったように覆いかぶさっていた頭のほうが、ばっさり切られていたのだ。いちばん上の一層がないから、化け物感が消滅したのだった。
桜守の佐野藤右衛門さんが、ほんとうに祇園桜を切る決断を下したのだろうか? おととし、藤右衛門さんにお目にかかって、京の桜のすごさをくわしく話してもらったばかりなのに。
「ソメイヨシノはあかん、色気がないわ、いっぺん祇園桜、見てみぃ、乳母桜の色気っちゅうもんがどんなにすごいか、感じ取っていってや。そりゃー、すごいもんやで」って、いってくれたのに。
すこしがっかりしたので、京都の夜桜のオバケ感覚を奪回すべく、夜10時まであちこちの夜桜を見てまわった。でも、ほんとうは、祇園桜とともに見たい夜桜があったのだが、今年はもうライトアップしないという。日曜の夜なのに、それはないでしょう!
ソコというのは、もちろん、平安神宮だ。あそこの枝垂桜はすごい。おととし、平安神宮の夜桜を堪能したのだが、こちらは吉野の山桜の下で「望月のころに死にたい」といっていた西行の気分がわかった。魔物なのだ。桜はみんな、夜になると動き回る。そんな気味悪さにあふれた、圧倒的におそろしい枝垂桜だった。
でも、今年はソレが夜に見られない。仕方がないので、翌朝見に行った。朝見る平安神宮の枝垂桜は、たしかに華やかで、都の洗練を感じさせるのだが、「魔物」じゃない!その点、本人がすでに妖怪に近くなっている老齢の母は、車椅子が通れない回遊路にもかかわらず、自分の足で歩いて見物する、といいだした。しかも、平安神宮の枝垂桜にうっとりしているうちに、とうとう庭を一周してしまったのだ。でも、ま、いいか、魔物のかわりに妖怪でも。
東京に帰って、おととしの京の桜を、写真で見直してみた。ここに載せた写真のうち、最後のものがおととしの祇園桜だ。平安神宮の枝垂桜も夜桜の写真はおととしの撮影。祇園桜も平安神宮の枝垂桜も、やっぱり二年前は化け物だった。藤右衛門さんがいってたっけ・・・桜はな、満月にむかって満開のピークをもっていくんや。西行はんはそれを知っていたから、望月のころに死のうと思いはった。つまり、満開の花の下で死のうとしなはったんや。昔の人は科学知らんでも、ちゃんと自然のことを知ってはった。今の人は、知識あっても、自然のこと、まるで知らんわ・・・・
藤右衛門さんの言葉が、つくづくと思い出された。
来年は、祇園桜が化け物の力を回復してくれるだろうか? ぼくには、そう祈ることしかできない。それから、平安神宮の夜桜も、来年もういちど見たいものだ。