ずいぶんご無沙汰しました。書き込みをなまけてたわけじゃありません。その間ずっと、マサライと死闘をくりかえしていたのです。神のご加護で、なんとか生き延びました・・・・
電気もなにもない秘境の一番奥まで行こう、という計画が二年前から持ち上がった。なにしろ大先生のご希望であったので、どんなに奥深い秘境へも出かけないわけにはいかない。それで、ようやく手配がついて、1月14日に探検の決行となった。毎日マラリア除けの強力な薬マラロンを飲み、これまた強力な防虫剤と殺虫スプレーを体に噴射しつつ、ちいさなカヌーで泥水の流れる大河をのぼりつづけた。川のなかはワニだらけ。しかもこの秘境ではワニが命を脅かす危険な存在で、とりわけ恐ろしいのはマサライの憑いたワニなのである。
書き忘れたが、マサライとは精霊という意味の現地語で、超自然的なパワーをもつ存在のことだ。このマサライをあやつって呪いをおこなう術者も多い。呪術者を養成する学校まであって、4年制のカリキュラムなんだとか。卒業試験がなんと、家族の一人を呪い殺すこと、というのだから、実際に卒業できる人はすくないという。そのマサライが憑いたワニはおそろしいなんてもんじゃない。旅の途中出会ったお葬式でも、先祖伝来の呪いによってつい数日前ワニのマサライに殺された若者を悼んでいた。地元の子供に、その「マサライワニ」の絵を描いてもらったら、なんだか古代エジプトのワニ神みたいで、すごかった。ちなみに、ワニのマサライは水の女神に仕えていて、この女神はすべての自然物とマサライを創造した「地母神」だった。月がまぶしいと雲を吐いて曇らせてしまえる。この川の女神の姿も絵に描いてもらったら、まるで埴輪か大魔神みたいな格好だった。われわれは、川の神やマサライが住んでいる「精霊の家」も見学したが、素朴でしかも神秘感に満ちた精霊の彫刻が置いてあって、頭がくらくらした。精霊を目覚めさせるには、若者が梁の上に登り、一人ずつ飛び降りるのだそうだが、二月堂お水取りにおこなわれるダッタンの儀式を思いださせた。
連日焼けるような暑さの中、われわれはカヌーで川をのぼりつづけた。しかし、とうとう力つきた。3日めで熱中症にかかり、倒れた。電気もない、ベッドもない、わずかにマット持参で川を上ってきたわれわれだったから、倒れても医者はいない。教会の牧師館に転がり込んで何とか助かったものの、もう前進は困難となった。やっとの思いでチョッパー(ヘリコプター)を呼んでもらい、平地へ運んでもらった。でも、だれともなく、これはマサライにやられたのではないか、といううわさが流れた。秘境の精霊にとり憑かれたら、文明人といえど、命があぶなくなるのだ。われわれは冗談とも思えず、怖くなって日本へ逃げ帰ることにした。帰りぎわ、マサライの彫刻を地元の人が売りにきた。ここらの秘境は文化度が高く、すばらしい精霊の彫刻を生産する。一体50キナだといっていた。日本円にすれば2000円ほどか。買いたいけれど大きい。それに、高い。チョッパーもきたので丁寧にお断りすると、それじゃーーお土産にあげるからもってけ、という。ちょっと歯がでたような山の精霊と、例の川の精霊の大きな像をいただいた。
ところが!! あーー、精霊なんぞ気軽にもらってはいけないとつくづく思い知らされる出来事がおきてしまった。夜、ホテルで偶像二体を眺めていたら、川の精霊のカラフルな腰巻からちいさな虫がちょろちょろでてきたのだ。見ればゴキブリの仲間だ。あわてて殺虫スプレーをまいたら、出るわ出るわ、5,6匹も這い出してきて、別種の芋虫みたいなやつまで姿をあらわした。まるで式神のようなやつらだった。これって呪いなのだろうか。悪いことしてないはずなんだけどなーーー。
われわれはさらに一泊とまり、やっと首都に帰って、日本への直行便に滑りこんだ。やれやれ、これで命拾いだ、死なずにすんだ、と喜びながら機中の人となる。でも、なんだかまだ変なのだ。備え付けのモニターに飛行図がでている。日本語で表示されているのでありがたいのだが、どーーも変。チェンマイのはずが「チェンナイ」になってるし、ムンバイが「ムソバイ」と書いてある。この飛行機はマサライに仕組まれたもので、どっか異次元へ連れて行かれそうな気がした。この不安は、すぐに現実となった。成田上空に近づいた後、飛行機がぐるぐる旋回しだしたのだ。モニターに出ている飛行機の絵がチットも動かなくなった。ぞっとした。一時間くらい動かない。アナウンスがあって、成田は大雪のため着陸ができないという。上空待機する飛行機も多いため、やむなく名古屋空港に降りることになった。そこで、さらに待機。午後11時すぎて、ついに乗客は降ろされることになった。セントレアからの旅費、宿泊代その他一切面倒はみてもらえない。われわれは最終電車を乗り継いで、なんとか名古屋市内にたどりつき、また一泊して翌日東京に帰りついた。みんな疲れきって、マサライに祟られたことを確信したのか、車中では会話もなかった。
さらに悲劇はつづいた。帰国後、ぼくの足が真っ赤にはれ上がり、あわてて医者にいくと、ツツガムシ病ではないかと、医者が青ざめた。しかし、熱帯に行ったのだから北国のツツガムシはいないだろう。たぶん毒虫にやられたのだということになり、処置してもらって様子を見ることになった。それから、マラリア蚊にやられたなら3週間ほどで症状がでるかもしれないともいわれた。果たせるかな、翌日38度9分の発熱があり動けなくなった。もはやブログを書くどころの騒ぎではない。一度は、これで終わりかなぁとさえ思った。
観念して病床に臥していたら、幸いにも今日になって熱が下がった。ツツガムシでもマラリアでもなかったらしい。それにしても、こんな目にあったのははじめてだ。まだ、体のあちこちが痛いし、足もはれている。ほんとうにマサライの威力はすさまじい。もしも命ながらえたあかつきには、同じひどい目にあわれた大先生とともに、秘境の精霊のパワーについて、本格的に調査しようと約束した。とりあえず、現地の子供に書いてもらったマサライの姿や、それらが住んでいる精霊の家の鬼気迫るありさまを、画像でお伝えしておく。健康を取り戻せたら、また続きを書きます。
電気もなにもない秘境の一番奥まで行こう、という計画が二年前から持ち上がった。なにしろ大先生のご希望であったので、どんなに奥深い秘境へも出かけないわけにはいかない。それで、ようやく手配がついて、1月14日に探検の決行となった。毎日マラリア除けの強力な薬マラロンを飲み、これまた強力な防虫剤と殺虫スプレーを体に噴射しつつ、ちいさなカヌーで泥水の流れる大河をのぼりつづけた。川のなかはワニだらけ。しかもこの秘境ではワニが命を脅かす危険な存在で、とりわけ恐ろしいのはマサライの憑いたワニなのである。
書き忘れたが、マサライとは精霊という意味の現地語で、超自然的なパワーをもつ存在のことだ。このマサライをあやつって呪いをおこなう術者も多い。呪術者を養成する学校まであって、4年制のカリキュラムなんだとか。卒業試験がなんと、家族の一人を呪い殺すこと、というのだから、実際に卒業できる人はすくないという。そのマサライが憑いたワニはおそろしいなんてもんじゃない。旅の途中出会ったお葬式でも、先祖伝来の呪いによってつい数日前ワニのマサライに殺された若者を悼んでいた。地元の子供に、その「マサライワニ」の絵を描いてもらったら、なんだか古代エジプトのワニ神みたいで、すごかった。ちなみに、ワニのマサライは水の女神に仕えていて、この女神はすべての自然物とマサライを創造した「地母神」だった。月がまぶしいと雲を吐いて曇らせてしまえる。この川の女神の姿も絵に描いてもらったら、まるで埴輪か大魔神みたいな格好だった。われわれは、川の神やマサライが住んでいる「精霊の家」も見学したが、素朴でしかも神秘感に満ちた精霊の彫刻が置いてあって、頭がくらくらした。精霊を目覚めさせるには、若者が梁の上に登り、一人ずつ飛び降りるのだそうだが、二月堂お水取りにおこなわれるダッタンの儀式を思いださせた。
連日焼けるような暑さの中、われわれはカヌーで川をのぼりつづけた。しかし、とうとう力つきた。3日めで熱中症にかかり、倒れた。電気もない、ベッドもない、わずかにマット持参で川を上ってきたわれわれだったから、倒れても医者はいない。教会の牧師館に転がり込んで何とか助かったものの、もう前進は困難となった。やっとの思いでチョッパー(ヘリコプター)を呼んでもらい、平地へ運んでもらった。でも、だれともなく、これはマサライにやられたのではないか、といううわさが流れた。秘境の精霊にとり憑かれたら、文明人といえど、命があぶなくなるのだ。われわれは冗談とも思えず、怖くなって日本へ逃げ帰ることにした。帰りぎわ、マサライの彫刻を地元の人が売りにきた。ここらの秘境は文化度が高く、すばらしい精霊の彫刻を生産する。一体50キナだといっていた。日本円にすれば2000円ほどか。買いたいけれど大きい。それに、高い。チョッパーもきたので丁寧にお断りすると、それじゃーーお土産にあげるからもってけ、という。ちょっと歯がでたような山の精霊と、例の川の精霊の大きな像をいただいた。
ところが!! あーー、精霊なんぞ気軽にもらってはいけないとつくづく思い知らされる出来事がおきてしまった。夜、ホテルで偶像二体を眺めていたら、川の精霊のカラフルな腰巻からちいさな虫がちょろちょろでてきたのだ。見ればゴキブリの仲間だ。あわてて殺虫スプレーをまいたら、出るわ出るわ、5,6匹も這い出してきて、別種の芋虫みたいなやつまで姿をあらわした。まるで式神のようなやつらだった。これって呪いなのだろうか。悪いことしてないはずなんだけどなーーー。
われわれはさらに一泊とまり、やっと首都に帰って、日本への直行便に滑りこんだ。やれやれ、これで命拾いだ、死なずにすんだ、と喜びながら機中の人となる。でも、なんだかまだ変なのだ。備え付けのモニターに飛行図がでている。日本語で表示されているのでありがたいのだが、どーーも変。チェンマイのはずが「チェンナイ」になってるし、ムンバイが「ムソバイ」と書いてある。この飛行機はマサライに仕組まれたもので、どっか異次元へ連れて行かれそうな気がした。この不安は、すぐに現実となった。成田上空に近づいた後、飛行機がぐるぐる旋回しだしたのだ。モニターに出ている飛行機の絵がチットも動かなくなった。ぞっとした。一時間くらい動かない。アナウンスがあって、成田は大雪のため着陸ができないという。上空待機する飛行機も多いため、やむなく名古屋空港に降りることになった。そこで、さらに待機。午後11時すぎて、ついに乗客は降ろされることになった。セントレアからの旅費、宿泊代その他一切面倒はみてもらえない。われわれは最終電車を乗り継いで、なんとか名古屋市内にたどりつき、また一泊して翌日東京に帰りついた。みんな疲れきって、マサライに祟られたことを確信したのか、車中では会話もなかった。
さらに悲劇はつづいた。帰国後、ぼくの足が真っ赤にはれ上がり、あわてて医者にいくと、ツツガムシ病ではないかと、医者が青ざめた。しかし、熱帯に行ったのだから北国のツツガムシはいないだろう。たぶん毒虫にやられたのだということになり、処置してもらって様子を見ることになった。それから、マラリア蚊にやられたなら3週間ほどで症状がでるかもしれないともいわれた。果たせるかな、翌日38度9分の発熱があり動けなくなった。もはやブログを書くどころの騒ぎではない。一度は、これで終わりかなぁとさえ思った。
観念して病床に臥していたら、幸いにも今日になって熱が下がった。ツツガムシでもマラリアでもなかったらしい。それにしても、こんな目にあったのははじめてだ。まだ、体のあちこちが痛いし、足もはれている。ほんとうにマサライの威力はすさまじい。もしも命ながらえたあかつきには、同じひどい目にあわれた大先生とともに、秘境の精霊のパワーについて、本格的に調査しようと約束した。とりあえず、現地の子供に書いてもらったマサライの姿や、それらが住んでいる精霊の家の鬼気迫るありさまを、画像でお伝えしておく。健康を取り戻せたら、また続きを書きます。