2005年12月

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 今回は2005年最後のブログ更新なので、がんばった自分へのプレゼント。入手したばかりの珍品を公開する。
2005年12月27日に、本年お世話になった人々を内輪にお招きして、感謝のお食事会
をひらいた。こちらがみなさんに楽しんでいただこうという趣旨だったのだが、いつも中国の奥地をさまよい太古4000年の神秘に関する情報を運んでくださるテレビ・ディレクター、本間修二さんから、ボクが逆に楽しくなってしまうような器械をいただいた。これは、ほんとうにすごいものだった。こんなもんが手にはいるとは夢にも思っていなかった!なにしろ、後漢時代に製作された地震源の方位を測定する「地動儀」という超大物なのだから、落ち着けというほうが、無理・むり・ムリ!
 本間さんは以前にも、手でこするだけで水がぴゅんぴゅん跳ねるという魔法の水盤「魚洗」をいただいたことがある。しかし、地動儀はむかしボクが、幸田露伴の随筆や中国科学史の本で見て、驚異のカラクリとあこがれた品物だったので、歓喜の具合が数倍も違った。
画像に示したように、このカラクリはきわめてドラマティックにできあがっている。本体ともいうべき丸い金属の器のなかに、振り子を逆にしたような感震器がおかれている。地震が起きると、振り子が傾いて、八方向にセットされた受け器のどれかに倒れこむ。すると錘の作用で器の外に設置された竜の口が開き、加えていた玉が落ちて、下に大口あけて待っているガマガエルの口に落ちる。八匹いるガマのどれが玉を受け止めたかで、地震源の方位がわかるというしかけだ。たぶん、まわりの装飾が四神と八卦になっているので、震源の方位が決まると、あとは易の占いにはいり、方位によって地震が運んできた神意を知ったのだと思う。その証拠に、竜がくわえる玉に「乾坤珠」と名がついている。乾坤も易の用語だ。天と地、といった意味がある。
メカニズムがすごいし、科学と占術を総動員する姿勢もおもしろい。こんなもん、おもちゃじゃないか、という人は人間の英知の本質を知らない。というのは、この地動儀こそ、日本の地震学発展のシンボルとなってきたからだ。
この器械のことを最初に記述したのは『後漢書』「張衝傳」で、これを発明した張衝の話が載っている。日本では明治8年に服部一三という人が張衝の事績に感動し、肖像と地動儀の絵を描かせ、のちに地震学実験所に掲げた。地動儀の絵は東大にできた地震学教室に移され、大森房吉だの今村明恒だの日本地震学のドンとなる人たちがこれを眺めてきた。幸田露伴も見たに違いない。ついでに言うと、服部は明治17年にアメリカのニューオリンズに博覧会事務係りとして赴任し、この展示を見にきたラフカディオ・ハーンという物好きと知り合いになる。のち、服部はハーンを英語教師として日本に招いた。つまり、小泉八雲を日本に連れてきた人なのだ。
おまけに、服部が岩手県知事の時代に三陸大津波が発生している。服部は津波対策と科学的解明を世間に訴えた。これに応えたのが今村明恒博士で、津波と地震の関係に着目、ついに、津波は地震が起こすという学説をまとめることになる。
そういうわけだから、ボクが地動儀に大きな関心をもったのも当然といえば当然だった。それを、風水同好のお仲間である本間さんが、中国で発見してくだすった。本間さんとは、風水や与那国海底遺跡の番組を作って以来、次はぜひとも徐福と日本に関する探検番組を作ろうね、と誓いあっている。でも、夢はまだ実現していない。
 話を戻す。この器械は、今から2200年ほど前に中国で作られた、おそらく世界最古の地震測定器ではなかろうか。もちろん本物なら国宝級だが、科学器械を作っている中国の深セン万科精品製造有限公司で発売された精密なレプリカなのだ。サイズは、たてよこ高さが31x31x21.5センチと、かなり大きい。この品物は中国の科学系博物館か骨董店(中国ではすべてレプリカしか売っていない)に今もあるようだが、発見できる可能性は少ないらしい。運がよくないとめぐり合えないから、みつけたら黙って購入するしかありません!!
 さて、われわれはメカニズムの試運転を始めた。さっそく器の真ん中にある振り子をまっすぐに立て、乾坤珠を竜にくわえさせた。よく見ると、竜とガマはたがいにみつめあっている。そうか、これは日本で「三すくみ」といっている蛇とカエルとナメクジの関係なのだ、と気づいた。地震は三つの力のバランスが崩れるときに発生する。三つの力とは、天・地・人、あるいは水・地・火でもいい。中国では、カエルが鳴いたら地震があるという伝承もあるので、ガマはふつうのカエルかもしれない。
 次に、床をどんどんたたいて装置を動揺させてみた。竜がなかなか珠を吐き出さない。力をいれてドンとやったら、みごとに竜が珠を吐き出し、ガマの口がそれをしっかと受け止めた!!やった、大成功です。
 すごいねーー、作動しますねーー、とお食事会にきてくださった人たちも目をみはった。ボクは大事にこの器械を持って帰り、いまアラマタ・ブンダーカマーの定席に収まって、新年のお供えのような貫禄で仕事部屋を睥睨している。現実に竜が乾坤珠を口から落とす瞬間を見たいものだ。もーーいくつ寝ると、お正月、はやくこいこい、おお地震・・・・
 それではみなさん、よいお年を!

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 久しぶりに京都の経師(きょうじ)、「大入(おおいり)」の社長さんにお目にかかった。経師というのはむかし経典の修理補修をやった職人集団のことで、その後は紙ものなら書物や絵図までなんでも修理してしまう、じつに古くて特殊な技芸だ。
 なにしろ仏教が渡来したときから必要になった技術なのだから、千数百年を軽く越える伝統がある。今回は「お土産」に、竹紙の一種で、片面がつるつるした経木状の竹皮、裏面がやわらかな和紙、という不思議な紙だった。これはいま、「大入り」さんの社長の奥さんだけが手作りで生産されているそうだ。こんな奇妙な紙、一体何に使うのですか、と尋ねたところ、「これは源氏香を行う際に、数種のお香の混ぜたものを包んでおくために使う専用の紙である」とのこと。竹紙のほうを内側にし、ブレンドしたお香をいれ、包んで表側に和紙がくるようにする。源氏香では独特の記号でブレンドの内容を示すのだが、その記号が書けるためには表が和紙でないといけない。それで、こういった紙ができた。
 「たったそれだけのために何百年、いや千年以上も伝えられてきた紙なんだ」と社長さん。源氏香のためにだけ存在意義を持つ紙の生産技術を、奥さんおひとりでが受け継いでおられるという会社が、まだこの世にあると知っただけで、ボクはうれしくなってしまう。
 そういえば、日本一古い会社だといわれる宮大工、「金剛組」の社長さんにおめにかかったときもおどろいたことがある。この会社は、四天王寺を建立するときに設立された渡来人の職能集団で、初代社長にあたる御仁は、なんと、聖徳太子だという。四天王寺はしばしば火災にあったので、建て直しのために集団にも仕事がまわり、技芸を伝えるチャンスがあったから千数百年生きながらえた。同じ古代建築でも、法隆寺は燃えずに残っているから、技芸集団に仕事がなく、とうとう亡びたらしい。運命は皮肉なもんだ。
 ついでに、「大入」さんが以前くださった驚異の経師仕事の傑作をご紹介しよう。一枚漉きのはずの新聞紙をみごと表と裏に割いた見本だ。これには度肝を抜かれた。和紙は何層にも重ねて漉くので、その間にナイフをいれ、二つに割いて、合紙をはさんで紙を補強することがよくある。でも、基本的に一層しかない洋紙の場合、これをふたつに割くことは不可能のはず。ところが「大入」さんはその不可能事をなんなく実行してしまう。画像で実際に見てほしいのだが、こういう技術を経典修理のためにずっと保存している職人さんがいらっしゃるのだ。
 さっそく竹紙のサンプルを頂戴し、これはわがコレクションの最大珍品だと、大喜びしながら東京へ戻った。戻ってみたら、サイパン旅行に出かけた友人からのお土産が届いていた。頼んでおいた「サイパンダ」のぬいぐるみだ。空港みやげ物をフィールドとする怪物怪獣部門のコレクションにしようと思っていた、かなり変な代物だ。サイパンの宣伝キャラだから「サイ」と「パン」とで「サイパンダ」となり、サイのごとき角をはやしたパンダの造形となった。2000年になるかならぬかの頃、サイパンの観光振興のため登場した。現にサイパン島へ行くと、「サイパンダ」バスまで走っているから、かなりメジャーなんだろうが、かわいらしい系の怪物としては、ドイツ、ミュンヘン空港で買える地元土産「ヴォルパーティンガー(ツノの生えたウサギの妖怪)」に比肩できる珍品ぬいぐるみである。でも、これは日本語のシャレだから、考えついたのは間違いなく「日本人のオヤジ」だったと思う。最近は日本のお客さんが減ってるそうだが、さすがサイパン、底力があるなーーー、とサイパンダを抱きながら実感した。

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 ニコラ・テスラといえば、直流電気を企業化しようとしたエジソンに対抗して交流電気の優秀さを示して実用化を提案し、エジソンをぎゃふんと言わせた神秘的な超天才発明家の名だ、といまではすぐに反応がくるけれど、むかしはかれが開発した驚異の変圧放電器「テスラ・コイル」を思い浮かばせる電気の専門家というイメージだけだったらしい。
 でも、地震を電力のエネルギー源にしようとしたり、超強力電波で地球上のどこにでも通信できるシステムを考えたり、ラジコンや蛍光灯を発明したり、いまだにかれのアイデアの全貌がわからない人物こそ、テスラなのだ。そのテスラの事績を20年前に日本に紹介したボクとしては、ごくたまーーにネットオークションにテスラ関係の古物が出品されると、黙って見過ごせない。なんでも買いたくなるが、やはり、有名な「テスラコイル」の古いのがほしい。けれど、今回もまた逃した。
 とにかくすごいのですよ、テスラコイルは。これを作動させると、青いイナズマが放電されて、まるでフランケンシュタイン創造の実験室みたいになって。ほんと、あこがれなんだけど、ボクに電気知識ないしなーー。でも、運良く古いのをゲットできたら、どっかでイナズマ放出実験やっちゃいますかね。
 しかし、たまにしか出てこない古いテスラコイルとはいえ、実際はビッドのバトルで強敵が出現するわけでもなく、電気製品の古物コレクターにもあんまりアピールしないようだ。だから、値がつりあがる可能性はそんなにないのだが、大きいのになると、とにかくゴツイのだ! コイルをたくさん巻いた金属製品なのでバカに重いし、海外には送ってやらないというセラーにばかり当たってしまうので、ビッドする前から涙を呑まなければならない。これが実情だ
 その鬱憤を晴らすべく、ときどき、かれの出身である旧ユーゴスラヴィアで出た記念グッズを入手する。今回また、テスラ肖像がはいった紙幣のセットと記念コインが出品されたので、ごく安い金額でビッドしたら、みごと落札した。紙幣は旧ユーゴスラヴィア国立銀行の発券で、5ディナラ,100ディナラ,500ディナラ,1000ディナラの4種。テスラの肖像画はどの額面もなかなかの出来であって、とくに高額の1000ディナラ券などは裏面に高圧電流を発する巨大テスラコイルの絵がはいっている。えらい火花が散ってますでしょ。
 ちなみに、旧ユーゴの紙幣はテスラの肖像があるばかりでなく、インフレのせいでものすごい額面のお札が刷られたことでも有名だ。なんと、5000億ディナラ札というのがある!!
 また、記念コインのほうは、1996年に発行された20ディナラ硬貨だ。若きテスラの肖像が彫刻されている。これを見ても、テスラはセルヴィア人の誇りでユーゴの国民的英雄だったことが、よくわかる。発明競争でエジソンに勝ったんだから当然だけど。セルヴィアの首都ベオグラードにはテスラ博物館があって、テスラが発明した製品の模型だの、アイドル・ブロマイドみたいにかっこいい写真だのが販売されているけれど、やっぱり本物の古いテスラコイルがゲットできるまでがんばろう。この博物館は1949年だったか、甥に当たる人が、ニューヨークに残っていたテスラの遺品類を全部引き取って建設したものだ。当時の政府も力をそそいだ。
 ちなみに、ボクがいまいちばん興味をもっているのは、テスラとx線の関係なのだ。テスラは科学者として最初にx線に手などをさらして写真を撮った人だという。同時に、x線に肉体をさらしすぎると有害であるということを警告した。なにしろテスラは高電圧の中にはいって、電撃を浴びることなく立っていられることを、身をもって実証した人だ。x線に対してもみずから生体実験をこころみたのだろう。なぜなら、x線はその最初期にあって、医学用ばかりでなく、骨が透けてみえる驚異の見世物としても活用が考えられていたからだ。現に1900年パリ万博に出演した「サーペンタインダンス(薄い衣を体に巻き、その透け感を魅力にしたダンス)」の踊り手、ロイ・フラーは、x線で骨まで透かせてみせる究極のストリップダンスをこころみるべく、キュリー夫人に相談に行っているほどなのだ。そういう時代のx線の社会史を教えてくれるのが、日本でこの装置の販売普及を手がけた京都・島津製作所の資料館だ。古いレントゲン装置がたくさん展示されてあってまことにおもしろい。
 ちなみに、そのx線装置を使ってひどくショッキングなシーンを空想した、こんなすごい雑誌カヴァー絵も集めているので、ちょっと紹介しておきます。1930年代全盛を誇ったアメリカのパルプマガジンというジャンルのカヴァーアートも、収集のアイテムとして人気が高い。ここにテスラがかかわってくると、レントゲン写真史はものすごくスリリングになるのだが・・・

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 来月はもう新しい歳になる。早い。早すぎる。これだと、一生なんて気づかないうちに終っちまう。でも、そんな無常を感じつつも、わくわくしてくるせわしなさが変に楽しく思えるのは、なぜだろう。このシーズン、日本橋から人形町にかけてが仕事と散歩とおもしろいもの発見のフィールドになっているアラマタは、忙しさにかかわらず、ふと人形町の「さるや」へ行きたくなる。
 「さるや」は宝永元年というから300年も前に創業した楊枝やさんである。昔は江戸の下町、とくに人形町だの浅草だのに日枝山王神社の縁起ものだった「くくり猿」を看板に掲げた楊枝屋が何軒もあったという。つまり、「さるや」は楊枝屋の代名詞だったのだ。
 いま、その「さるや」の屋号を掲げ、昔ながらの手作り楊枝を売っているところは、東京ひろしといえど、ここしかないと思う。お店へ行くと、シラウオの形をした長楊枝や総のついた歯ブラシ用の総楊枝など、職人芸の極致といえる楊枝がならんでいて、眼福を得る。もっとも、こういう名人芸の楊枝は、いまはもう作れないらしい。
 この「さるや」さんは、毎年の干支にちなむクロモジ手作りの楊枝を売り出す。これを十二種そろえるのが最近の江戸ものコレクションの目標なのだが、ボクの手許にはまだ4年分しかない。そろそろ来年の戌年楊枝が出る頃かナーーと思っていたら、兜町に住んでいるお友達から早々にひと箱いただいた。なかなか立派な張子の犬の絵が描かれた木箱に、矢がすり模様を刷り込んだ袋にはいったクロモジ楊枝が20本。袋から出すと、楊枝に小さな紙が巻いてある。おみくじの感覚で読んでみると、「みえも気がねも みなふりすてて うまれたまんまの夫婦風呂」と、しゃれた文句が書いてある。なんか、三味線で都都逸にして聞いてみたいような、江戸っ子の色気が、伝わってくる。柳家三亀松の世界だよな。人形町はこうしたいきな職人芸が生き残っている「江戸文化のガラパゴス」みたいなところだ。世界遺産だと思う。
 ついでながら、そのちょっと前に、またまた江戸の味、つまり江戸前「マボロシの味」を体験した話も書いておこう。「食に命をかける会」という、名前からしてモノモノしい会がある。あの味覚人飛行物体、小泉武夫教授が会長みたいな存在なので、命がけでどこかから調達してきたいろんな珍しいものを食べられるのだが、今回はかつて江戸前のシンボルだったアオギスをいただいた。まだたくさんいるシロギスよりちょっと大きくて、浅い砂地にいたのだけれど、東京湾では絶滅状態、他の地域でもごく少なくなった。なにしろ敏感な魚だから、ちょっとでも船や人の気配を感じると逃げてしまう。そこで江戸の「ばかもの」(ばかものとは、アホのことではなく、釣りマニアのこと。釣りばかっていう言葉のルーツかも)が考案したのが、脚立釣りだった。脚立の上に乗って影が水面に落ちないようにし、敏感なアオギスに警戒させないという釣り方なのだ。数年前にハゼ釣りをするため「東作」へ江戸和竿を買いに行ったとき、アオギス用の竿なんかも見せてもらったが、ワッとなるような職人芸だった。
 で、アオギスはちょっと黄色いヒレがあって、セビレにゴマみたいな斑点があるよ、などと形態の特徴を講義されたあと、いよいよ試食。さすが食に命をかける人ばかりなので、あっというまにアオギスの刺身がみんなの胃袋におさまった。シロギスよりしっかりした身で、味も濃い。つづいて塩焼をいただいたが、これが絶品だった。朝ごはんにこれがあったら、100年でも飽きずに食べつづけられる上品な味わいだ。江戸前の味にすっかり感動していたら、小泉教授が、「いやいや、これで感動しちゃ困るよ。てんぷらにするとサイコーーー!」なんておっしゃったので、すわアオギスてんぷらもでてくるかと期待したけれども、めったに入らない魚なのでてんぷらまで回らないとのこと。
 次回はなにがなんでも、アオギスのてんぷらに命をかけようと固い約束をかわした。さらに、江戸の楽しみだったアオギスが東京湾にもどるよう海を復活させようという、じつに建設的な活動もすることになって、お開きとなった。年末は江戸の香りが満喫できて、うれしいな。

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 久しぶりに大好きなミステリークロックが手にはいった。ジェファーソン社のゴールデンアワーという
シリーズで発売された電動式のカラクリ時計、たぶん1930年代か40年代の製作と思われるが、シンプルなデザインが気にいってビッドし、思いのほか安く落札できた。バトルの相手が少なかったせいらしい。
 まぁるい金のリングにガラスの文字盤。ところが、不思議や、その透明な文字盤のまんなかに付いた長針と短針が、なんの動力もないのにチック、チックと動いていく。これを称して「ミステリークロック」といい、19世紀から製作され、手品の新演出としてもパリで大評判をとった。その後、ご家庭用やプレゼント品として製作販売されたものが欧米に出回るようになり、あのカルティエがつくった豪華宝石ちりばめの高級ブランド品まである。今回のはアメリカ製で、普及品だがアールデコの香りがいい。さて、どんな仕掛けで宙に浮いた針がうごくのか、透明ガラスのすきまからかすかに見える歯車などを観察しつつ、メカニズムの出来具合を楽しんでいる。
 我が家には、世界で数台しか残っていないといわれる、ミステリークロックの発明者で手品師だったロベール・ウーダンの本物がある。いや、あった、といったほうが正確だろう。今あるのはその残骸だけだからだ。19世紀半ばころにロベール・ウーダンが発明したこの驚異のカラクリについては、壊れる前に撮影した写真があるので、参考までにそれを載せておく。ウーダンは時計職人を父にもち、自身もマジックの対価として興行を当てるまではカラクリ時計の職人をしていた。写真にあるように、かれをもっとも有名にしたミステリークロックは、ガラスでできた長いシャフトの上にこれまた透明ガラス製の時計文字盤を乗せている。どう見ても透明ガラスのなかに動力や歯車らしきものはない。つまり、針を動かす力ま見当たらない。でも、時計はちゃんと時を刻むのだ。
 ぼくがこのロベール・ウーダン型オリジナル・ミステリークロックをみつけたのは、パリの骨董市場クリニャンクールでだった。アールヌーヴォーのガラス器、とくにガレの海にまつわるデザインが付いたものを探し歩いていたら、からくり人形を並べた店にぶつかった。何気なしにウインドーを覗くと、この時計が置いてあったのだ。針がガラスのまんなかでマジカルに動くのを見て、即座に魅了された。どんな仕掛けでうごくのか知りたくなって、店にはいったら、宮崎駿監督の「ハウルの動く城」に出てくる荒地の魔女みたいなおばさんが出てきた。
 おばさんはぼくを見て、どーーせ冷やかしだろうと思ったにちがいない。いきなり、「おまえ、ロベール・ウーダンという人、知ってるか?」と訊いてきた。
 ぼくは特撮映画の開祖ジョルジュ・メリエスに関心をもつ人間だったから、そのメリエスに先立ってパレ・ロワイヤルの魔術劇場で自動人形や時計を使う新しいトリック・マジックを上演し、メリエスに多大な影響をあたえたウーダンのことを、たまたま知っていた。それでビックリして、「これって、ウーダンが魔術ショーに使った伝説の魔術時計なんですか!」と反応した。そしたら、おばさんも急に態度を変え、大きな顔をググーとぼくに大接近させるなり、興奮気味に話しだした。
 「どっかアジアのお客さん、あんた、これはソンジョそこらにないロベール・ウーダンが舞台で使ったホンモンなんだよ。この型は三番目で、一番人気があった。ほーら、まんなかにガラスのシャフトがあって、仕掛けが隠されてる大と文字盤の間を離してるだろ。魔術だって評判だった。わたしはずいぶん前にこれを手にいれ、店にも出さなかったんだが、もう歳だから、どなたか価値の分かる人に譲ろうと思って
展示してるんだよ。ほかにも19世紀の自動人形がいろいろあってね・・・」
 といいつつ、置くから象の人形を持ってきてくれた。ねじを巻くと象が歩きだす!!これもすごいカラクリだが、いまはミステリークロックしか眼中にない。いくらなら売ってくれるかたずねると、日本円で200万円近い値段をいわれた。旅先でそんなお金はないが、でも、ほしい。ねばりづよく値切ると、ついに130万円ほどにまで落ちた。あとで調査したところ、この透明シャフト型は当時一番人気だったそうで、ウダールが改良を重ねた末にたどりついた「第三型」と呼ばれるものだった。ただし、店にあったのは長針と単針があるので、時計の歴史を描いた権威書なんかに出てくる一本針のものとちがう。「第四型」はチガウデザインでも針ニ本になっているので、普通の第三型より進化したものということになる。もはや、買うしかないのであった。でも、旅先でお金がない!!しょうがないので、東京の留守をまもってくれていた当時の有能な秘書、嘉藤喜美子さんに電話して東京銀行で小切手をつくってもらい、次の土曜に取材先のドイツから一人だけトンボ帰りして、お店に駆けつけた。
 おばさんはその時計をみずからしっかり梱包してくれ、「いいかい、絶対に 横にしちゃいけないよ。デリケートな機械だから」と念を押した。にもかかわらず、パリの空港でX線検査のときしっかり横にされた。それでも運のいいことに、ちゃんと動く状態で日本に持ち帰ることが成功し、ぼくの最初のミステリークロック収集品となった。
 ところがある夏、大風が部屋にふきこむという風水先生も想定外の自然災害が起きて、カラクリものをおいていた棚の品物がぜんぶ床に落下してしまった。あのときの音、大切な品がつぎつぎに落下する音を、今も忘れられない。もう、トラウマに近く、お皿の割れる音でも聞くと失神する始末。
 あとで、パリのおばさんのところへ謝りにいったら、なんと、おばさんの店はもうなかった。死んじゃったのか。とにかく、悪いことをしてしまった。おばさんの行方は、隣の店できいても分からなかった。
あーーー、あの象の自動人形も買いたかったのに!
 という悲しい思い出をもつミステリークロックが、ひさしぶりにに我が家にやってきて、すこしうれしい。なお、この話にはもっとすごいつづきがあるので、いずれ書きこむことにする。

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