2005年10月

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 そろそろ寒くなってくるとパリ万博に行きたくなる。いや、正しく言うと、万博の残り物を眺めに行くのだが、何度も万博をひらいたパリにはたくさんの遺物が残っているから、まるでタイムスリップするかのように19世紀の博覧会を実感できる。ぼくは1900年のときの、川上貞奴が出演したときのパリ万博が好きなのだが、1889年や1878年のときの遺物もそろっている。とくに冬はクリスマスの飾りつけがおもしろいし、空気が凛としているので夜景がいいのだ。去年も冬はパリ旅行、夜どおしエッフェル塔を見て写真を撮った。夜のセーヌ川越しに見たエッフェル塔の光は、ほんとにすばらしかった。それだけで1900年パリにいるような気がする。きっとこの冬も行くだろう。
 でも、19世紀パリ万博にない遺品がある。それは会場風景を写した映像だ。1900年の分はすこし現存するが、見たいところの映像があまりなくて悲しい。そこへ行くと、20世紀のアメリカで行われた万博はちがう。かなりの部分にわたって映像が残っているからだ。ここが19世紀と20世紀の佐だろうか。つい昨日、ネットオークションで落札した20世紀のハイライト、1939-40年ニューヨーク万博の映像記録を収めたDVD3巻12枚組みが届いた。ぜんぶ見ると軽く10時間以上かかるというボリュームで、どーでもいいようなところがたくさん写っているので歓喜せざるをえない。このブログの更新も含めていろいろ仕事がたてこんでるけれど、えーい、すこしだけ見てしまおう。
 冒頭は、GMが総力あげて来るべき自動車社会の未来ヴィジョンをジオラマで見せる「フューチャラマ」というパヴィリオン。いまや伝説のショーである。1960年というから20年先のハイウエーが網羅されたアメリカを円形ジオラマで展開する。さすが本質が農業国のアメリカらしく、未来の田園、農作地のうつくしい大地を見せてから、いきなり片側6車線の巨大ハイウエーを「神の道」みたいに荘厳に現出させる。その高速道路が都会へとつながり、機能分けされ公害も騒音もコントロールされたメトロポリスが出雲大社の古代社殿のように天を突いてあらわれる。いやーー、すごい展開! これじゃあ、みんな車社会の崇拝者になっちまう。こういうイメージ洗脳のあげくに20世紀は車文明になったわけか、と謎がとける。でも、それよりなにより、真っ先に見たかったのは悪評高い低俗アトラクションとショーのたぐいだった。今回はこの万博で売り出されたお土産用のページマークとペーパーナイフも安く落とせたので、これをいじりながら見物することにした。もはや、1939年のニューヨークに飛び込んだ気分だ。
 5枚目のDVDが一枚そっくり、低俗娯楽部門に当てられていた。見物後の感想を率直に言えば、とても子供には見せられないアトラクションの連続、という感じ。しかし、大阪万博にだってお化け屋敷だの見世物小屋だの出たのだから、ここを無視してはいけない。まず、サルバドール・ダリがデザインした「ヴィーナスの夢」と題する怪しいパヴィリオン。このマボロシの興行に関して、ちゃんとした詳しい映像があったんですねェ、うれしいです。ここは一口で言うと、日本の大正博覧会に登場した「美人島探険旅行」とおんなじようなエロティックドリームの秘境探検である。ダリがデザインした水着を着用したすごいメークの美人が水槽の中を泳ぐ。水着は胸の部分を大きくえぐったデザイン。乳房の部分を半透明の樹脂のようなもので被っているが、よーするにヌーブラみたような眺めになる。建物の外観もダリらしさ全開。アルフレッド・ヒッチコックが狂乱した夢の場面をダリのデザイン、テルミンの音楽を使い制作した怪作スリラー「白い恐怖」を思い出させるような造作だ。みなさんにその光景をお見せできないのがつらいです、ほんとに。
 つづいて、これまた悪評高かった「生きているマガジンカヴァー」。建物の上方におおきな額縁が切られ、ここに水着やランジェリー姿の美人が現われる。つまり、生きた人間が雑誌の表紙としてポーズをとるわけだが、外から見える覗き部屋そのものです。今のシンクロナイズド・スイミングとラインダンスをあわせたような「アクアケード」もしっかり観賞。おもしろいです。で、いちばんの長回しは、「サン・ウォーシッパー(太陽崇拝者)の村」だった。これは知らなかったので、とても勉強になった。1920年代以降、日光浴や海水浴を含む「太陽に当たる健康生活」が流行し、今で言うところのヌーディスト運動につながったのだが、このグループが万博に参加、太陽崇拝者の健康生活を一般公開するという催しであった。しかし、ヌーディストだから必要最小限の衣服しか着けない。ほんとはヌードなのよ、ということをアピールするためか、わざわざ薄いストッキングのような下着でプライヴェートな部分を覆って、その上から普通の布地でできた水着様のものをまた着用するという奇怪ないでたちである。この姿で、若い女性たちがお料理したり散歩したりするのを、柵のそとからお客の紳士がじっとながめている。さすがに子供はいなかった。それともう一つ気づいたのだが、1939年ニューヨーク万博には黒人のお客がほとんど写っていない。不況に後の万博だから、見にこられたのは金持ちの白人ばかりだったせいなのか。考えさせられる発見だった。
 さて極めつけは、「フューチャラマ」のデザインにも加わったデザイナー、ベル・ゲデスが個人経営の権利を買って自力で開いたパヴィリオン、「クリスタル・ラッシー」だ!くわしくは、拙著「万博とストリップ」に書いたとおりが、この催しこそストリップショーのコンセプトを決定的に変えた歴史的興行であった。というのは、ベル・ゲデスが舞台を全面鏡張りとし、ダンサーを激しく動かして、その動きを天井、床、そして側壁に張ったたくさんの鏡を通して観賞させることを、発想したからだった。ベル・ゲデスは流線型の車をデザインし、スピードと性能を快適と進歩のキィワードに変えた。おなじコンセプトを女性の肉体にも適用し、ついに激しく動く流線型の裸体を進歩のイメージに昇華させた。ストリップは場末のバーレスクではなくなり、進歩のスペクタクルとなったのだ。万博のサイドショーは奥が深い!たしかにダンサーたちは激しく動き回る。どの女性もトップレスで踊る。その歴史的映像をこうやってじっくり見物できるありがたさに、ただただ涙・・・・・・してばかりもいられない時間にいつの間にかなってしまったので、DVD観賞はいったん終了し、いつものようにいろんなネットオークションを覗いて数点ビッドしたあと、仕事の資料をさがすため書庫に降りた。よりによって、わが書庫にあるいちばんおおきな本を引っ張り出さねばならず、ちょっと閉口。写真を参照してください!!DVDはちいさくて楽だったなー、と思いつつ夜なべ仕事にはいった。こんどはいつ、どこの万博に行けるかしら。
 それから追伸。前回書いたレイ島田・・・でなく田島さんのことを教えていただいた方に感謝します。ありがとうございました。いちど、歌声を聴いてみます。
 

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 長旅の取材から帰ったら、いつものように郵便の山が待ってた。仕事がたまってて、そんな暇あるわけないのに、ぜんぶに目を通す。カタログ類はとくに丹念に見るので、一日の大半がつぶれる。デモ、発見は多い。今日もその中に小包があった。先日落札した「オペラ座の怪人」の関連グッズだ。
 お猿がシンバルを叩くカラクリのついたオルゴールが、この舞台の冒頭に出てくるけれど、「はい、つぎはロット665番、円筒式オルガンを仕込んだミュージックボックス。シンバルを叩く、ペルシャ・ローブを着た猿ノフィギュア付き・・・・・」とオークションにかかった、あの怪人制作になるカラクリが、いまは商品になっている。ボクはこのミュージカルをロンドンの舞台で見て、あれ、ほしいなーー、と思ってたものだから、そっくりにつくったミュージックボックスが出たのを発見したとたん、つい入札してしまった。
 到着した物を見たら、サンフランシスコ製で、ぜんまいを巻くと猿がシンバルを叩く真似をする。これを出品したおじさんが、ものすごい「オペラ座」マニアらしく、NYのブロードウェイで観劇16回、映画を8回、曲もCD聴いて全部憶えたと言うつわものだった。オペラ座関係のミュージックボックスをぜんぶ持ってるから買わないか、とメッセージがあった。でも、落とした品物より、それを出品したアンタのほうがもっとおもしろいですからーー、と返事したくなることがしばしばある。ボクは「オペラ座」ならば原作者ガストン・ルルーの初版フランス語版がほしいので、「あんた、マニアなら原作本もってないか?」と訊いたら、原作本には関心なくて、映画と芝居だけ、と返事がきた。まったく、本ってやつは、昨今ぜんぜん人気がないもんなのだね。
 先週末に、昔お世話になった故・大伴昌司さんのお宅にお伺いした。おかあさまがまだまだご健在なのと、残された大伴さんの制作メモ類が青森に移るのとで、この機会にもういちど大友さんの仕事場を見学しようと思い立ったのだ。行ってみると、あの奇抜な青い門はまだ健在だったので安堵した。前回見たのは昭和の終わりだったが、あれから17年余、おかあさまがよくぞ保存し続けてくださったものだ。
 ちかごろ村上隆さんがNYで開いた日本の少年カルチャーアート展でも、大伴さんが少年マガジンなどのために制作した怪獣の断面図などは一番人気だったという。図解という大伴さんの開発した表現方法が再評価される日は近いはずだ。ボクはもうガランとしてしまった大伴さんの書斎にすわらせていただいた。午の日差しが差し込むのに静で冷たいお部屋で大伴さんの写真を眺めていると、ボクが高校生のころ、日本最初のホラー小説研究会「ホラー文学セミナー」に加入して事務局長の大伴さんから青鉛筆で書いたハガキをいただいたときの興奮が遠く思い出された。
 大伴さんの書斎で、丸められた古ポスターの束を発見し、中を調べてみた。なんと、画霊・横尾忠則さんが1970年大阪万博で繊維館のために制作なさったポスターが出てきた。今と少しも変わらない霊力ある画面だった。横尾さんはご自分でもこれを保存なさってるだろうか。大伴さんもいろいろと万博にはかかわっておられたから、こういうものを大切に残されたのだろう。
 また、レイ島田というコロンビアの歌手が出した「新宿の子守唄」という曲の宣伝ポスターもみつけた。これも昭和40年代のものらしい。そのポスターの絵柄を見て、ボクは腰をぬかしてしまった。なんと、水木しげる大先生(オオセンセイ、と読むこと)が絵柄を担当しておられるではないか。大先生、ポップスだかフォークだかのポスターにまで仕事の幅をひろげておられたとは!!こんど水木さんにお会いしたら、このポスター書いたときの話を訊いてみよう。それにしても聞いたことないなぁ。レイ島田って言う歌手は謎だ。けれど、もっと謎なのは、お化けだらけの宣伝ポスターをつくらせたレコード会社のほうだが、さぞや売れなかったろうに。おかげでレイ島田さんの探索が大変になりそうだ。そのあとボクは一日、おかあさまから古いお話をうかがいつづけた。
 大伴昌司という人のことを知らなくても、ウルトラマンや怪獣のことを最初にカルチャーとして捉え、宣伝・解説し、また図解と言う手法でさまざまなテーマを子供たちに示した人、と説明すれば、その偉大さが分かってもらえると思う。大伴さんご本人はどうもそう思っておられなかったみたいで、自分は才能ないからこんな分野にはいるしかなかった、とおかあさまに打ち明けていたそうだ。でも、のこされた資料のすごさ、メモやラフ段階での頑張りようを見ると、大きな自負をもっておられたことがすぐにわかる。なぜなら、昔はそういう文化が差別されていたからだ。ボクは高校生のときマンガ家をめざしていたのだけれど、担任教師から「いいかげん子供みたいなことはよしなさい」と言われたし、それ以前にも中学生のときに、アメリカの怖いホラー小説を原書で読みたくて日本橋の丸善へ注文に行ったら、そういう中学生が読むような本は輸入できないかもしれませんよーー、とやんわり断られたこともあった。
 そういう偏見がなくなって、マンガは日本の誇る文化、日本のホラーがハリウッドでリメーク、なんてことになってきた最近の事情を、大伴さんが見たら、さーー、どのようにおっしゃるだろうかしら。

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こんにちわ。しばしパソコンの前に座れなくなるので、今日はちょっと長いです。ハラハラしどおしだった一年を振り返ります。
愛知万博のグローバルハウスに関係する展示をいろいろ考える仕事に、およそ一年前から加わった。ディスプレイには、ムットーニのからくりボックスとかスイスのジャケ=ドロがつくった文字書き人形などを使いたいと思っていたけれども、からくり儀右衛門の万年時計が出ることになって大喜び。さらに、本当に発掘できるかどうか定かでなかったマンモスが無事に発掘され、これで何とかなるナーーと安心したのが3月だった。そのころの会場夜景は空気がさえていたせいか、とてもきれいだった。
雪がちらつくなか行われた開会式は、寒い、サムイ、と連呼しながらも、最初の万博みやげをいただいた。グローバルハウスでvip用にこしらえた非売品スーヴニールもいただいた。これらがなんと同じ「からくり目覚まし」だったのには、ちょっとおどろいた。画像にあるように、シルバーのボディーにオレンジの縞がはいった時計なのだが、この縞があっという間にブルーに変わるのだ。何でだろう、といろいろいじっているうちに秘密を発見。これは、中を開いて文字盤と写真を見ているだけではわからない。これを外に開いて丸い背と背をあわせて一回りさせると、銀色の部分(じつは縞の裏側)が別の色の縞に変わる。手品にある仕掛けだ。でも、うれしいスーヴニールといえる。ぜんぶで4個いただいた。モリゾー、キッコロの絵も付いてるのだ。
いよいよ会期も終了というときに、ぜんぶで3本のソフトをながしてるという長久手日本館の地球の部屋を見に行った。360度の継ぎ目なき完全球形映像を体験させるアトラクショウで、ぼくのお気に入りである。まだ見ていなかった新作をうまく見ることができた。おどろいたのは、卵の内側にいて親鳥が外からからを砕いてくれるのを見上げる体験だった。球形のスクリーンなので、見るぼくらは、完全に雛ドリ
となる。いやーー、見られて、よかった、よかった。
とおもっていたら、ネットオークションでバトルしていたアイテムが落札できたので、すぐオンライン送金をすませた。19世紀最後の万博「1900年パリ万博」で配られたメダルだ。この万博は、アトラクションとして第二回近代オリンピックを共催したことで知られる。オリンピックを「おまけ」につけるとはけしからん、という意見もあったが、とにかくオリンピックを甦らせたことは大きい。このオリンピックに関わった人すべてにプレゼントされたのが、このメダルだという。金・銀・銅メダルの原型は、万博でだされた商品競争の記念品にあるわけで、いまは競技の勝者しかもらえない。オリジナルの函まで付いているので、ビッドして手にいれた。結構お高かったけれど、オリンピックのおまけだったかと思うとおもしろくなる。それにしても、パリで開かれた最大の祭、1900年万博のスーヴニールは、知らないものがいくらでも出てくる。この分だと晩年も退屈せずに暮らせそう。
書き忘れそうになったので、一気に書いておく。ぼくの2005年万博は、まだ終っていないのだ。11月27日まで群馬県立自然史博物館(富岡のそばです)で「ニッポン・ヴンダーカマー 荒俣宏の驚異宝物館」という催しを開催している。ぜんぶ、日大芸術学部の学生とコラボレーション、はじめは挨拶もできなかったみんなが半年の制作期間のあいだに博物館の方々とちゃんと意見交換できるまでに成長し、いろんな意味で画期的な展示をつくりあげた。入り口には90体もの人造生物キマイラがならぶ。画像のようないろっぽいキマイラもあって、いいですよ。画像参照のこと。会場には、博物・本草時代の薬屋さんを再現、ユニコーンの角、ミイラ、そして犀角などの珍品秘薬と出会える。また、埋もれた4人の博物学者の事跡をオリジナルアニメで紹介。解剖模型の部屋には、京都の島津製作所から独立した模型の老舗、京都科学の製作品を陳列してある。とくに珍しいのが、明治時代につくられた紙製の解剖模型(キュンストレーキ)。あの衛生博覧会のイメージも盛り込んだ。最初期の博物館にあふれていたワンダーを再現するため、3D画像なども仕掛けました。「学術廃棄物」の再評価をめざして、今日も往く! 

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ネットオークションやネットモールができて、もーーー買うものが増えすぎた。
しかし、わたしは変なもの、不思議なものを買うために、ちょっとこの世に遊びに来た人だから、
ここにいる間はかいまくります。
そんな命がけの毎日をそこはかとなく書き続けるので、よろしく。

まずは、9月25日に終った愛知万博。
カクテル光線にあふれた日本館はおもしろかったですね。でも、4時間待ちだったけど。
それから、穴場はヨルダン館でしたねーー。なんと、死海の水をもってきちゃったんです。
予約いれて、実際にあの浮遊体験をさせてくれました。水着は地味なのを貸してくれました。
浮きながら新聞も読めるし、一人胴上げも楽しめます!!

じつは、わたしはマンモスで人気のグローバルハウスのナビゲーターをやっていた。
で、会場にはオープン前から通ったわけだけれど、いろいろ売ってないアイテム手にいれました。
最終日はどのパビリオンも投売りやってましたね。そんな話からスタートいたしますので、次回から
お楽しみに。

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